泣いたときの対処



 赤ちゃんが泣いたときの対処法は、日本と欧米では大きな差があるようだ。日本は母子同室で徹底的に構うが、欧米は別々の部屋を用意するほど放っておく。お国柄というか、日本人は子供が泣いていると不憫でならず、できることはしてやろうと、構いたがるのではなかろうか。赤ん坊は決して痛みや悲しみが原因で泣いているとは限らないのだが、日本人は情にもろいというか感情移入が得意というか、赤ん坊は理由があるから泣いているのだと思いこみ、あやすのに労力を惜しまない。そして体力的にも精神的にも疲れる。話は変わるが、日本の田んぼはとても管理が行き届き、徹底的に雑草を排除しようとする。行き過ぎると農薬過多となる。手入れの行き届いた田畑は美しいが、強迫観念に突き動かされるように管理するのは、農家にも負担になるし、時には消費者にも害となる。雑草や害虫を排除しない農法が注目されつつあるが、日本人の美意識にこだわらず、本当に必要なのは何かを考え直す必要があるだろう。ただ労力をかければ良い、己を犠牲にしてまでも振る舞えば報われる、と考えるのはむしろたやすいことであるし、思考の放棄であるし、無責任ですらある。赤ん坊が泣いたら、あやして泣きやめばそれで良し、泣きやまなければ欧米流に放っておくのも良し、だと思う。泣くのは赤ん坊にとって数少ない運動であり、呼吸器を鍛える機会でもあると考えられる。また生後2,3ヶ月の赤ん坊は泣いているときの記憶も残らないし、泣いているのをあやしても生長は無いように思える。一方、起きているときにガラガラを鳴らしたり指を触ってやったり、話しかけてやるほうが、情緒、行動の発達に大きな好影響を与えると思われる。そう考えると、泣きやませるのに血道を上げるのは、ただ大人が泣き声に耐えきれなくて対処する、大人の身勝手な振る舞いのように見える。それで疲れ果て、赤ん坊が外部の情報を精一杯得ようとするご機嫌な時間に遊んでやれないのは、まったくもってもったいないことだと言えるのではないだろうか。