鉄板のシーズニング

島風お好み焼きを極めるために、イシガキ産業の鉄板を買った。

 

どうもシーズニングというのが必要らしく、

 

まず空だき(弱火)たしかに白い煙が出てくる

煙が出なくなる

中火にする

また出る

止む

強火にするが、ガスコンロのセンサーのためか、弱火になる。

位置をずらしてみるが、弱火にしかならない

しばらくすると強火になり、煙が出てくる

中心と周辺4カ所を順次あぶる。高温炒めボタンを押すと強火になり、煙出る。

火を止め冷ます

冷めて一度たわしですすぐ。水の付き方が周辺(水をはじく)と中心部(水の膜が残る)とに分かれたので、よく火を入れた中心部のようになることが理想的だろうと判断し、二度目の空だきにかかる。周辺部をしっかり加熱することに。案の定、煙は出てくる(中心部でも出るのかも知れないが)。

全体を「ツヤの無い状態(何かのコーティングを焼き切った?)」にする。

洗う→オリーブオイルを引いてくず野菜(キャベツの外側)を焼く。→洗う

使用

使用後たわしで水洗い→オリーブオイルを塗り仕舞う

長崎を出て4日

24日に長崎を出て、姫路で一泊し、富山について4泊した朝。怒濤の4日間だったが、その記録を残しておく。

まず長崎を発つ前に、一週間は職場の引っ越し作業で、本当は金曜日に発送してしまいたかったがずれこみ、土曜日まで梱包作業をし、日曜は雨で家の棚作り、月曜の午前に発送し、午後は水族館にあいさつ、午前に調子が悪くなった発送用端末のせいで支払いができていなかったのでまた大学にもどり配送業者に支払い、火曜は薪ストーブの煙突掃除とガスケットロープの交換(初)、と全然ゆっくりできない長崎最後の日々だった。

出発前日の夜は家族が写真立てとカップと菜箸(?)を送ってくれて、ぶわっと涙が出る。子供たちに泣きながら謝り、どうして長崎を離れるのかをもう一度話す。自分のこと、子供たちのこと、親のこと・・・。その後、テレビ電話(Zoom)のやり方を下の子に教える。

24日は上の子たちが7時半に修了式のために登校するのを見送り、下の子は変な咳が出るので休みとし、前日に車にほぼ積み終えた荷物に最後の追加をし、8時に家を出る。2時間インターバルでは走れず、3〜4回休憩し、15分ほど目をつぶることを繰り返しながら、姫路に7時前に着く(7時にZoomすると約束していた時間に間に合った)。Mapでは8時間だが、11時間掛かったことになる。高速道路から見える桜がきれい。昨晩のことを思い出すと視界がぼやけて危険。

昼は妻に持たせてもらったおにぎり、夜は王将。

 

25日は7時半にホテルを発つ。3時に富山に着き、ガスの開栓の連絡を待つ必要がある。5時間の予定だがどうなるか。しかし福知山から北陸道を通っての道は空いており快適。疲れも少なく、2時半には富山の居室に着く(7時間かかった)。荷物を運び入れたり、ガス会社に電話して17時に来てもらう約束をしたり、その後ニトリに行きカーテンを買おうとするがサイズや色に悩み買わずに帰り、吉野家で夕食を食べながらちょっとテレビ電話して、家に帰ってまたテレビ電話。

ガソリン5,530円(長崎を満タンで出て、途中追加分)、高速13,000円・8,000円、ホテル5,112円

ニトリ(LED電球2個、トイレスリッパ)・・・・・・・・1,412

朝はホテルのバイキング、昼は三方五湖SAで鱒寿司・サラダ・チキン、夜は吉野家753円。

 

26日、買い物し、大学にも行く。

ウェルシア(ティッシュ、ホイル、ラップ、トイレクイックル、ゴミ袋、洗剤、バケツ、米)・・・4,653

ヤマダ電機(冷蔵庫、テレビ、電子レンジ、こたつテーブル、洗濯機・・・110,478

ニトリ(洗濯機ラック、カーテン、バスマット、LED電球)・・・・・・・16,290

大阪屋(ドリップコーヒー、牛乳、インスタント味噌汁、いわし缶詰、タラの芽天ぷら、サーモン太巻き、レバニラ、菜の花炒り豆腐煮)・・・1,551円

朝はレーズンパンとミニトマト、昼はカツ丼ミニうどん付き、夜は大阪屋の惣菜

 

27日は、富山に来てニトリ電気店、普通料理ばかり行っていてもつまらないので、天気も良いので氷見に海鮮丼を食べに行く。

カーマ(風呂たわし、ふろブーツ、まな板、バスポンプ、物干し竿、ハンガー、ふきん、延長コード、洗濯ばさみ、包丁)・・・・・・・10,118

キャンドゥ(つっぱり棒、ハンガー、サンダル、洗濯ばさみ、ワイヤーかご)・・・660円

業務スーパー(しょうゆ、みそ、だし、トマト、りんご、納豆、オリーブオイル、冷凍チヂミ)・・・3,014円

朝は米と味噌汁、いわし缶、昼は海鮮丼2,000円、夜はチヂミ

 

28日は、悪天の午後に大型ショッピングセンター「ファボーレ」に行くことに。

カーマ(1バイ材、2バイ材、)・・・1,140円

カーマ(キッチンシート、水切りネット、三角コーナー、爪切り、ひげそり、タオル掛け)・・・5,324円

ニトリ(キッチンワゴン17cm、ゴミ箱、カーテンレール、マット縁、バスマット中、スーツハンガー、こめびつ、風呂椅子)・・・・8,628円

ファボーレ織部カップ漆椀、茶碗、どんぶり)・・・2,915円

ファボーレ無印(皿3種、箸)・・・3,240円

ファボーレ(かき、鶏胸肉、レタス、ブロッコリー、わさび、しょうが、ケチャップ、ポッカレモン、牛乳ほか)・・・2,873円

ファボーレカルディ(コーヒー豆)・・・750円

ファボーレユニクロ(ブリーフ4枚)・・・1,990円

朝は、昼は大阪屋豚丼ときゅうり酢531円、夜はかきと鶏胸肉の味噌汁風鍋とサラダ

 

29日

昼食は百貨店(大和)漁莉亭ででタケノコホタルイカおこわと唐揚げ・・・648円

カーマ(粘着シール、卓上回転ラック)・・・・1,977円

カーマ(ねじ)・・・162円

ニトリ(キッチンワゴン(26cm幅)、スクエア風呂椅子、食器かご、炊飯器に敷くトレー)・・・・6,772円

セリア(密封ジッパー、S字フック、石けん皿、コーヒーフィルター、ドリッパー、しゃもじ)・・・663円

大和(おわらはがき660、箸3膳2,530)・・・3,190円

きときと市場(黒昆布鱒ジャーキー734円、梨パイほか1,838円)・・・2,572円

お土産処(バラ菓子)・・・786円

朝は昨日の残りとリンゴ、昼はおこわ、夜は昨日の残りとサラダ

日本近現代史

息子(小三)は小学館日本の歴史の第二次世界大戦から現代までの巻をよく読む。兵器とか爆発とかが好きなんだろうなと思っていたが、なんでか聞いてみると「なんで戦争なんかしたんだろうなって、こわいなって思って」と言う。

息子はこういう自分の考えを素直に言葉にできるところがすばらしい。上の子たち(中一)は年頃なのでおくびにも出さない。素直なだけでなく、そこそこ感心することを言う。散歩が好きだとか、風呂で話をするのが好きだとか。

こちらも「誰もしたくない戦争がいつの間にか始まってしまうところが怖い」「一対一なら相手の方が自分より強いか弱いか分かるけど、国対国になると、自分のことしか見えないから、周りの人が『自分たちは強い』とか言い出すと正常な判断ができなくなるんじゃないか」とか言う。ちょうどヘンテコノミクスという行動経済学の本で、他の人の意見に流されて、自分の考えとは違う返答をしてしまうことがマンガになっていたので、それと繋げてみたり。

来春から単身で富山

12月4日〆切の公募に一週間前から書類を用意し(鏡を入れ忘れ連絡先に抜けがあったりし)、12月10日ごろに面談に来るよう連絡があり(富山の賃貸住宅を調べていたら電話があった)、12月23日の面談のためにどうやって行くか(密を避け、早く、安く、楽に)を検討し、22日の午前に伊丹空港からリムジンバスで京都、午後に特急で富山に着き前泊、23日午後に面談し京都に移動し宿泊、24日に長崎へ、と決める。飛行機と京都泊を楽天トラベル(13,943円)で、JRと富山泊を日本旅行(赤い風船、10,400円)で予約し、Goto利用で安く抑える。長崎に帰ってからもホテルで隔離するよう家族に言われ、3泊8,190円で小浜で過ごす。

富山に何をしに行くのかは家族に言っていない。ポシャったときに要らぬ心配をさせるから、相談して反対されても意志を変えることはしないだろうから、という理由で。でも琵琶湖沿いで雪の比良山系を眺めている時点で涙が出そうに。長崎の家族のため(家の部屋不足、大学進学資金、自立)、山梨の親のため、自分のため(子離れ、仕事、趣味)という大きく3つの理由から合理的な判断であることを言い聞かせる。

京都は晴れて暖かいが、富山はどんより曇り、道路脇には雪が積み上げられている。面談(プレゼン付き)の準備を終え、夕食のために歓楽街をうろつくが安心できそうな店はなく、結局ホテル地下の魚の店へ。ホテルは温泉付きを選ぶ。翌日の面談は山裾にあるので、最初はレンタカーで行くのが効率よいと考えたが雪がどんなか分からず予約はできず、バスで行く予定で、午前中の過ごし方を考えて寝た。そこそこ緊張する。

翌日は快晴で、こりゃレンタカーで走ったら気持ちいいだろうと、富山駅手前の地元レンタカー店へ。Gotoクーポンが割り当てられているがスマホを持っていないので、お姉さんのスマホで僕のクーポンを適用してもらえないかと相談し、ちょっと無茶な話だけどお姉さんは承知してくれてゴチャゴチャやって4000円ほどで借りられることに。

で一路、八尾へ。神通川沿いを南に走ると、晴れ渡る空に雪を被った山がきれいで夢のよう。夏にはおわら資料館に行ったが、今回は曳山展示館。もし採用されたらこの地域に住むのも良いなと思ったが、冬の過ごしやすさはどうか調べるのも目的。曳山展示館は「動く不夜城」「藩のドル箱」などの表現が直情的で良い!カイコの飼い方の展示もあり、おわらの歌や絵、版画の展示も有り、ビデオのオワラ節がロビーから聞こえてくるのも良く、客は自分一人で、満喫した。

車を展示館に置いて散策。おたや階段、新町通りなどぶらぶら歩く。売り物件を二つほど見つける。おわらマンガ「月影ベイベ」に出てきた(と思われる)お好み焼きやで昆布のお好み焼きをお願いする。富山は昆布消費量が日本一で、歯ごたえが残るように細切りした昆布をおむすびにまぶしたのは朝食べ、お好み焼きにもそれが入っている。このお店のオリジナルでは無いと言うことだ。他にも暖の取り方など、コロナ禍でありながらいろいろ聞かせてもらう。富山に転勤になるかも知れないとも冗談交じりに話す。

f:id:U_S_K:20210203110912p:plain

立山の写真を撮りながら面談会場に行く。滞在時間は1時間半か。なぜ今の職場を出るのか、を一番に聞かれたが、想定された質問だった。正直に言うのが良いだろう。和気藹々として、感触は良かった。昼のお好み焼きと緊張でお腹が重い。終了後、一路富山駅へ。レンタカーを返し、富山駅で夕食を買う。ホールのます寿司は多過ぎるので、個別包装の押し寿司にする。金細工など、北陸の職人文化が垣間見られるお土産もチラ見する。北陸新幹線で金沢へ出て、駅でつまみとビールを買い、特急車内で晩酌。京都のホテルも温泉付きだ。

翌日は伊丹空港で検査場奥の店で土人形おみくじを4つ買ってお土産に。諫早のコインランドリーで洗濯をして小浜へ。その晩、海鮮蒸しを食べていると、採用候補者として選ばれたとの電話を受ける。嬉しくもあり、怖さもあり。その電話で、給料を聞いて決めたいと率直に言う。子供の大学資金を貯めることが、この転勤の最重要項目だから、今より減っては笑えない。

翌日から先方から基本給や手当について、それをもとに年収を計算し現在と比較し、それが悩ましい数値だったため先輩や友人に聞いてもらったりする。決して大幅にアップするわけではないが、他の転勤理由も考慮すると、富山に行くという結論になった。富山の冬を乗り切るメンタルについても友人からアドバイスをもらう。正月休み明けに、正式に「行く」という返事をする。

正式な返事の前に、3つの理由とともに家族に話す。最初は給料がそれほど増えないかも知れないので、単身赴任でなく家族で行くことを提案し、引っ越し、転校について意見を聞くが、翌日にはやはりまず1年は単身赴任することを告げる。上の子は授業内容の接続を心配するが、日本の義務教育では心配ないことを伝える。下の子は、12月のうちに「どこか引っ越すのってどう思う?」と聞いたことがあり、もしかして今の学校や生活から逃げ出したいかと思い聞いたのだが、友達がいるからしたくないと言われたことがある。そこで「富山でも友達ができるぞ」と言うと「行く」という話になる。雪もある、アユ釣りもできる、とバラ色なことを中心に伝えている。1月になっても息子とは休日に公園で野球・サッカーなどするが、女ばかりの家に置いていくことが不安になり、一緒に4月から行くことを計画し、息子から母親に話すと「とりあえず9月から」ということになった。この先、どうなるか分からないが、一緒に部屋を探したり、学校や公園の場所を考慮するなど、息子も富山に来ることを念頭に生活の準備をしている。

1月20日に正式採用の連絡があり、現在の職場に退職届を提出し、目星を付けていた賃貸の問い合わせを始める。2月2日にウェブ内見を行い、2つの候補に絞る。今の職場でお世話になった先輩、後輩にも挨拶を開始する。連日、油断すると涙が滲み出てきて困る。

長崎の冬は晴れが多く、それが富山では見られない。海も空も、この時になって改めて美しい場所だと知る(以前からカメラを持ち歩いている)。16年ほど住んだ。結婚し、子供も生まれた。そして子供も大きくなり、自分の親が心配になる時期になった。親が元気で、子供は小さいまま、ということなど無いのだ。時間は流れ、バトンは受け継がれていくのだ。次の自分の役割を果たすために、今は環境を変えるのが自分にとって最善なのだと考えている。僕が悩んだ末に出した結論に、間違いは(あまり)無い。 f:id:U_S_K:20210202073756j:plain

 

嵐の後に

正月明けて、荒れ放題だった息子(小3)も、やっと落ち着いてきた。そして、返事をしたり、言われずに片付けをしたりと、その前よりも少し成長する。そうやって徐々に成長する、ということを久しぶりに思い出した。

反抗期の父親像

子供が小さいときに、やがて来る反抗期をどう父親として振る舞うべきか考えたことがある。そのときは、子供の気持ちをくみ取りながら、感情的では無く、論理的に、正しいことや自分の意見を考える機会になるよう、話ができる父親になることだった。つまり、相手を理解すること、理解しようとしていることを伝えることが、父親として寄り添うことだと思っていた。

 

しかし実際の反抗期は、子供は理解など求めていないのだ。理解されてたまるかという気持ちすらある(自分にはあったと思う)。そんなときの父親の役割は何だろうか。ただ見守ることだろうか。逐一口を出すことだろうか(テレビに対する独り言でも)。