涸沢カール紅葉

もう5,6年か、あるいは10年も前か、サンゴ礁や山歩きに子供達を連れて行けたこともあって「あとは涸沢の紅葉を見れば心残りは無い」と思った。世界にも絶景はあるがキリが無い。とりあえず涸沢だけ見られれば満足だと。そのころは長崎に住んでいたので、仕事の関係で行けるのは9月末、京都まで夜行バス、そこから上高地までバス・・・と、いつ実現させられるかも分からないまま、とりあえず移動手段を調べたりした。富山に来て3年目(毎回書いてるな)、ようやく涸沢の紅葉を見ることが出来た。去年も息子と挑戦したが、秋の寒さ対策に甘い部分が多く、あと上高地からのアプローチの長さに辟易して、横尾で引き返すという残念な結果だったので、リベンジを果たした感じ。

↓ちょうど撮影していた。近辺に居た人が映ってるが、自分は映っていなかった・・・。ドローン飛ばしてたのにぜんぜん使ってないな・・・。

news.tv-asahi.co.jp

金曜に有休を取り、木曜の夜7時に富山市の自宅を出発し、ガストで夕食を食べて9時すぎに平湯温泉に着く。平湯民俗館の足湯に入ろうとし、門前の駐車場に車を停め敷地に入り探すが立ち寄り湯やトイレしか見当たらない。あきらめて駐車場まで戻ると、車の横にひっそりと足湯があった(笑)!温泉に入ることも考えたが、時間も掛かるし足だけサッパリすれば快適。

10時ごろにあかんだな駐車場に車を入れる。同じ区画には10台くらいの先客。トイレに行ったり、歯を磨いたりして寝る準備。今回の車中泊(フリードスパイク)には三つ折りマニフレックスと枕と羽毛布団を持参。始発のバスは4:50と確認して4時15分に目覚ましをセットして就寝(始発4:50は夏の時刻で、5:20は秋の休日の始発、秋の平日は6:20が始発だった!)。

翌朝は4時15分に起き、ぼんやりしたのちトイレに行って帰ったらもう4時半過ぎで、次の便(まだ始発は4:50だと思い込んでいるので、次の便は5:20だと考えていた)でいいやとのんびり朝食を食べる。トイレに行ったとき、すでに並んでいる人たちがいたけど、4:50にバスが来た気配は無く、その後5:10ごろにバス乗り場に行っても切符売り場は開いていなかったので、その人たちも始発時刻を間違えていたのではないだろうか。

切符売り場は5:20に開き、切符を買った人から順にバスの乗車行列に並んでいく。それまで待っていた「列」と思っていた人の並びは、切符売り場に入る順でも無く、ただ待っていただけなのか、といろいろ不思議に感じる早朝5時(まだ暗い)のバス停だ。切符売り場を開けた人が連絡したのか、6時には臨時バスが来てくれる。

6:45上高地バスターミナル発

9:45ごろ横尾

12:45ごろ涸沢ヒュッテ着

1時間ごとに休憩入れながらコースタイムの歩行時間で涸沢に到着。本谷橋から上では雪がちらつくことも。上高地周辺の山も雪化粧だったが、涸沢カールを囲む穂高たちも想像以上に下まで白い。テン場も雪がうっすら積もってるが、テントを張るスペースは雪が無い。実は寒さが苦手なワタシ。早々にニット帽、ネックウォーマー、ダウン(モンベルアルパインダウンジャケット)、オーバーパンツ(モンベル・エクセロフトサーマラップ)、さらにレインコートまで着て、さすがに寒くない。

肝心の紅葉はというと、うーん、ナナカマド、茶色い?周りからは「絶景」「雪と紅葉で最高」「泊まらず帰るなんてできない」という声も聞こえれば、「想像とちょっと違う」という意見も。ネット上の写真はさすがに盛りすぎのもあれば、きれいなナナカマド(アイドルナナカマドと心の中で呼んでいた)のアップでごまかしているのもあるとは思っていたが、今年の猛暑の影響なのか、毎年こんなものなのか、どうなんだろう。ヘリがスゴイ頻度で飛んでくる(到着してから夕方まで5回くらい?)。新聞社のドローンも飛ぶ(羨ましくもあり、うるさくもある)。

(→茶色、と思っていたナナカマドだが、帰ってきて写真を見ると結構鮮やか。カメラが盛っているせいもあるかもしれないが、自分のメガネが低温+日差しで色が出るレンズなので、もしかして他の人より黒っぽい紅葉を見ていたのかも知れない・・・。)

ついつい売店に並んでしまい、「涸あげ」とカップラーメンを買ってしまう。3時頃にカップラーメンを食べ、ちょっと寝る。6時頃からは夕食としてピラフ。7時にトイレと歯磨きして寝る準備。やはりあまり寒くないぞ?テントに帰ろうとして、へドラだけでは自分のテントが見つからず、しばらく迷う。特徴的なテントや岩のおかげでなんとか帰り着く(他にも迷子の人はいた)。

夜、寒さのせいか風の音でか何度も目が覚める。12時頃、2時頃、4時頃など。寝袋はモンベルのFP800#2。靴下、オーバーパンツ、ダウンは着たまま。頭はネックウォーマー。途中で手袋もして、カイロも1つ握る。どこが寒いかというと、足先か指先だが、むしろ風の音かも知れない。一晩中吹き続けて、テントのフライをばたつかせる。耳栓も持ってきていたが、使わなかったのが良くなかったか。「涸沢はトイレに行列」と聞いていたので暗いうちに一度トイレに行く。スキー用のグローブを持って行ったのは正解だった。

日の出が5:50なので、5:30ごろからうろつく。上空は晴れ、東の空が赤くなり、こりゃモルゲンロートまで見られるぞと期待したが、東の空の雲が光を遮り、あと少しの所で赤くならず。もう一泊するか、今日帰るか、贅沢な悩みを開始する。帰る場合、人混みで順調に進めなくても、涸沢を10時に出れば上高地発あかんだな行き最終バスには余裕。9時に撤収を開始すれば良い。それまで、テン場を少し降ってアイドルナナカマドを探しに行ったり、涸沢小屋から前穂を眺めたりして、やはり帰ることに決める。一日涸沢をぶらついたり、寒くて長い夜をテントで過ごすのが、ちょっと気が進まないから。

9時から撤収、10時に出発と考えていたが、なんだかんだで(トイレなど)出発は遅れた。

10:30涸沢発

13:30徳沢着、14:00発。

15:50上高地

すれちがい待ちで遅れるかと考えていたが、順調に帰れたことになる。徳沢園でピザを食べようと思いながら歩いてきたが、1700円と見てさすがに食べる気にならず、夏に続きコーヒーソフトで済ます。アイスコーヒーなので寒かった・・・。

実は今回、行きの歩きから左肩が痛く、2日目は左股関節、足の親指内側および親指付け根の水ぶくれで歩くのも辛い始末。行く前から右膝は心配していたが、それ以外の場所がむしろ痛く、それはこの先の不安要素だ。それらをどう防いでいくか、あるいは登山を卒業するか、考えさせられる。

(→水ぶくれは摩擦と湿気による皮膚の軟化でできるらしい。今は綿の5本指靴下の上に登山用ウール靴下をはいている。いい加減20年前のウール靴下も買い換えて、5本指(指の間が湿るのを防ぎたい)も化繊の吸湿速乾性のものに換えよう。)

今回の持ち物は写真の通り。テーピング類をタッパに入れているのは、タッパを枕にするから。

今回の試みが、生鮮食品のシャインマスカット。実はミニトマトを買いに行ったスーパーで、ミニトマトの値段とシャインマスカットの値段がそう変わらなかった(ミニトマトが高かった)ので持って行ったが、幸せだった。そしてカロリーが高く、昔から食べるのが好きな「イカの姿フライ」。大袋のママ持って行くとは思わなかったが、小袋に移す時間が無く、とりあえず車に積んで家を出たのだが、ザックのサイドポケットに突っ込んで持って行って、おいしく食べた。一方でドライフルーツ系の干しぶどう、とくにバナナチップはあまり食べなかった。

ほかに使わなかった持ち物は・・・

  • 夏に使った白い綿の手袋・・・黒の100均の手袋を使用(化繊、右手の3本は指先が出ている)。濡れなかったのでスペアは使わなかった。
  • スペアの薄い手袋・・・1000円以上の手袋。ろくに使わないうちに片方無くしたので片方だけ。手は薄い100円手袋でかなり寒さは防げると知った(昨冬の犬の散歩で学んだ)。とにかく今回は使わなかった。
  • ネックウォーマー3つのうち1つ・・・ネックウォーマーと言いながら、100均の女性用ヘアバンドなのだが、首、おでこ、顎を温めるのに重宝する。さすがに3つは要らなかった(2つで良い)。
  • マスク・・・寝るとき鼻の先や口が寒いかと持って行ったが、使わなかった。
  • ヒートテック長袖・・・使わずにすんだ。下着は速乾性の半袖のみ。着替えるのが寒いので。

結露対策で必須(シュラフが濡れると最悪)と思って持っていった、テント内に敷くエマージェンシーシート2枚だったが、朝起きてみるとまったく結露していない。空気が乾燥しているからか、強風だとそうなるのか、結露しない理由は不明だが、とにかくシュラフが濡れなくて良かった。

下山して思うことは、本当に紅葉の中を歩くなら、別の場所も良いということ。涸沢はヒュッテとテン場の周辺かその下の狭い登山道でナナカマドやダケカンバを見る程度。2年前に登った立山は、室堂一帯が草紅葉(ナナカマドもあるがチングルマなど低木が中心)で、ターミナルから一ノ越、立山山頂、大走りと歩くあいだ中、山と紅葉を眺め続けることが出来る。涸沢にしか無いものもあるが、立山や他の山の紅葉も良い。

あと、涸沢に限らず、山小屋のトイレ事情は、山小屋、登山者、環境省、それぞれ考えなければならない。臭いのも辟易だが、小屋の負担も大きい。「自然」に負荷をかける訳にもいかない。出したモノは持ち帰るようにしなければならないのかも知れない。あるいは現場での「消化」技術の確立だろう。

2023おわら(9月2日)


富山に来て3年目。1年目は完全に中止。2年目は限定開催だが感染を避けるため見学自粛。ようやく見ることができた。町の中でいろんな町内が散発的に演技をするのは、長崎くんちと同じ形式。なかなかうまく見られないのも同じ感じ。でもその割りには踊りに巡り会えたり、写真を撮れたりした。写真を撮るのに背が高くて良かった。

富山ではおわらが生中継される。室内ホールでの公演の様子や、町流しの様子が。そして富山市民も見に行くのは大変。今年は駐車場が1台3000円になり(シャトルバス代は不明)、一人で見に行くのは支出多い。今年はむりやり自転車で行き、楽しませてもらう代わりにうちわ(蒸し暑いので必須)や飲み物、夕食を現地で買うようにした。

それらを考え合わせると、家でのんびりテレビを見ているのがラクで良いのだが、やはり見に行って良かった。ゴチャゴチャした人並み、どこで踊っているか、何時からかなど耳に飛び込む情報、踊りを待ってか疲れてか路肩に座り込む人、遠くからおわらを見に来た期待、踊りを見た感想、おわらについて、どの町が一番か、を見知らぬ人同士で伝え合う様子。現地で無ければ感じられない。また、観客同士で「脚立に立つな」とか、頭(あるいは帽子、自撮り棒など)が邪魔だなとか、思い通りに見られないやきもきした感情、町の人が観客の場所取りに苦言(そこは通路、そこは人の家の車庫、など)を言う様子、町の中年男性が子供たちに高圧的に振る舞う態度(はよ来い、など)、写真に写り込む三角コーンや電信柱、単管パイプなど、もうちょっと背景が情緒あったらなと残念に思うことも、やはり現地に行ってこその感情だろう。

とにかく、富山の町の外れで静かに強く、伝統ある町並みと踊りを守り続ける八尾の人々には驚嘆する以外無い。

自転車ルート(来年用)

 

ちょっと蝶ヶ岳

平湯温泉で学生時代の友達と泊まることになったので、これはあかんだな駐車場に車を駐めて上高地に行けという巡り合わせに違いないと、薬師登山の課題改善も兼ねて決行する。チェックアウトしてから1日目は横尾まで、2日目にやや長めの歩行だが蝶から長塀尾根経由(10時間)で降りて富山まで帰る山行。

10:40河童橋。3時間で横尾だと、2時頃に着いてしまう。というわけで、いつもは梓川左岸を通るところ、河童橋を渡り右岸を通って時間を掛けて明神まで行き、明神館でおやきを食べる。

右岸は、たしかに水辺も多く、木道も歩きやすく、キャンプ場も通る必要無く、時間があるときは良い(帰りは時間優先で左岸を通った)。

嘉文次小屋は、ピクニックの目標地点にするには良い雰囲気。ここでイワナ塩焼き定食を食べて帰るか、おやつを食べにさらに1時間歩いて徳沢に行くのも良い。

徳沢園、そして横尾山荘で、去年の9月に落としたトレッキングポールの先っぽ三分の一が届けられていないか聞いたが、さすがに一年前のは保管して無いらしい。

横尾からの前穂と秋の空。

横尾大橋でオコジョと遭遇。翌朝もフライシートを乾かしていたらその下でごそごそ動いていた。その後は明るくなったせいか出てきてくれず。

2日目の朝は寝坊した。4時に目覚まし時計を止めてから、目覚めたのは4時半過ぎ。出発は6時直前になった。スゴ乗越と同じく、4時起き、5時半発にしたかった。

それでも上高地の最終バス(17時半発)には間に合うだろうと、ゆっくりペースで登ることにする。ゆっくりペースと言いながら、実は「短くハイペースで歩き、頻繁に休憩がてら写真を撮ったり風景を見たりする」という登り方でコースタイムを上回れることが実証されつつあるので、それで行く。

横尾から尾根(蝶槍や山頂との分岐)までは3時間半で1000m登る。それまでは森の中だが、たまに槍が見えたり、穂高が見えたり、日陰だったりでそれほど辛くは無い。長塀尾根の方が辛いのではないかと、そこを降ってきた身としては思える。

森林限界を超えたのが9時。眺望が開ける。

さらに10分登れば分岐。

東に見える、蝶ヶ岳頂上、富士山、八ヶ岳。電線が邪魔しない富士山は良いな(山梨の実家からは、富士がきれいに見えても、どうしても電線が邪魔をする)。

分岐に荷物を置いて、蝶槍までピストン。奥には常念。

南に御岳、乗鞍、霞沢岳(あまり意識したこと無い、上高地の南の山)。

蝶ヶ岳頂上より槍穂高。これを見に来た。そもそも蝶ヶ岳登山を計画したのは、薬師登山と同時期で、薬師が無理なら蝶ヶ岳に、と思っていたのだが、両方登れるとはラッキー。薬師で見るより、真横からの槍・穂高がデカく見える(デカすぎて画面に入らない)。薬師の姿は見えなくて残念。

蝶ヶ岳ヒュッテで、横尾で見つけた蝶ヶ岳バッヂを買おうとしたのに売っていなくて残念。バッヂは子供の頃から集めていたが、初めて登った薬師でも買いはしなかった。もう買うな、ということかな(チョウチョの形で、花がカラーで描いてあって可愛かった)。

11時に下山開始。3時間で徳沢、さらに2時間で上高地だが、下りはキライ。長く感じる。足もガクガク。つまづくことも。

 

キライじゃ無い、ちっちゃいモノ倶楽部。グーとかパーとか、チョキとかハートとか。

徳沢園2時半着。「徳沢園では昔、牛を飼っていて、夏になると、人が連れてくるんです。だからソフトクリームが有名です」とガイドさんがツアー客に説明する声を聞いて、がぜんソフトクリームが食べたくなる。ホントはビールが飲みたかったが、富山まで帰ることを考えて断念。頼んだコーヒーソフトは、ソフトクリームの隣にあると「コーヒー味のソフトクリーム」と間違えがち(他のお客さんの会話からも誤解が生じやすいのが分かった)。アイスコーヒーにソフトクリームが入ったもの、と店内のどこかに書いてある。誤解して頼んだものだけど、ちょうど良かったかも。3時に出る。

コースタイムで10時間の歩行予定で、上高地に4時に着くかと皮算用していたが、休憩も入り、下りにやられ、上高地着は16時30分。晩ご飯を食べていこうか、しかし手持ちが無いのでATMあるかな、などいろいろ考えたが、バスターミナルの食堂は閉まっているし、ATMも無さそうだし、ヨーグルトプリンを食べて17時のバスであかんだなに。

この日から始まる「おわら」の越中八尾のそばを通りながら20時前に富山につき、刺身と天ぷらを買ってビール飲んで、テレビでおわらライブ中継を見る。

今回の課題

  • 今回はカメラは持って行かず、スマホのみ。食事も少なめなので、60リットルのザックではバランスが悪い。
  • 耳あては9月1日の蝶ヶ岳山頂では助かった。耳が冷たくなると頭が痛くなるので。
  • 「侍型」と呼ばれるストック収納方法も良かった。ショルダーベルトの下部にペットボトルホルダーのような袋状のもの、ベルト上部にゴム紐ストラップを付け、それにストックを収納する。ゴム紐ストラップは脱いだ帽子を留めておくのにも都合が良かった。
  • 山道具屋で衝動買いした耳栓は、使わず。テントも少なくうるさくなかった。それでも2時頃目が覚めたのは、満月で明るいせいか?
  • モンベルのリゾットを初めて食べた。早いのはうれしいが、ちょっと飽きる。かといってアルファ米は飽きないかと言うと、分からない。
  • 枕の滑り止めはマイクロファイバーの雑巾を持って行った(新品)。なかなか良かった。
  • テント内では、エマージェンシーシートを敷いて、結露で物が濡れないようにしているが、シュラフの足先がシートからはみ出て濡れるので気をつけよう。
  • メスティンは昔の山ジャケ収納袋に入れるようにした。
  • ハイドレーションの飲み口防護は、小さなチャック付き袋が良いと結論されたが、売り場でサイズに迷って買えなかった。1回の山行に、2〜3枚持って行くと良いだろう。
  • 徳沢に降りてからは、ウエストベルトで締め付ける腰骨あたりが痛かった。富山で車から降りるときから、右膝が痛い(翌日は回復)。右足親指付け根に小さな水ぶくれ。下りでは、親指付け根と小指が痛む。翌日は筋肉痛(ふくらはぎと腿)。
  • 浄水器(ソーヤー・マイクロスクイーズフィルター)はきっとよく働いてくれている(内部乾燥がしにくいのが気になる)

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2023薬師登山

北薬師への登りで振り返る(浄土山竜王、獅子、鷲、鳶、越中沢、スゴの頭、間山)

北薬師を抜けて現れる薬師岳特別天然記念物の圏谷群

薬師岳に登る決断をした(と言っても直前まで悩んでいた)。それというのも、富山市からは立山・剱から南に伸びる「名も無き山たち」(実際にはもちろん名前があり、そしてそれらに登山中とても苦しめられるというリスペクトを込めてこう呼ぶ)が連なり、さらにドデカい薬師岳が鎮座し、「ほんとにあれ登れるの?」という気持ちやら、「この連なりを歩ききりたい」という気持ちやらが湧き上がると同時に、登らないと一生後悔するような強迫観念に襲われるからである。

7月28日から31日までの三泊四日。準備は1週間。今回は一人であることと、久しぶりの3泊(いつもは1~2泊)だが、とくに緊張感なく、のんびり登ってやろうという気持ちで臨む。さらに道具を精選することと、食事スタイルを確立することも目的の一つ。食事の予定は以下の通り

1日目

昼 サンダーバードのサンドイッチ

夜 アルファ米(赤飯)、フリーズドライのカレー

2日目

朝 粉ミルク、シリアル、スープ、あんパン、オリーブオイル

昼 ラ王(ゆず塩)

夜 アルファ米(ピラフ)、フリーズドライビーフシチュー

3日目

朝 粉ミルク、シリアル、スープ、あんパン、オリーブオイル

昼 棒ラーメン

夜 アルファ米(わかめご飯)、フリーズドライのカレー

4日目

朝 粉ミルク、シリアル、スープ、あんパン、オリーブオイル

昼 棒ラーメン

行動食

カロリーメイト4本入り×4箱、サラミ、ドライフルーツ(バナナチップ、いちじく)、あめ(前日夜に買ったので写真に無いが、塩レモン)、Ton’s(ナッツ、スナック)、ポテトチップ(堅あげ小袋×3)、シリアルバー、(グミは重くて持って行くのやめた)

そして調理具として、ガスバーナーとガス缶、丸コッフェルを卒業し、アルコールストーブとメスティンで行く(前者は重いし丸いのが梱包しにくくて嫌いだった)。燃料はエスビットを1回4片使うとして、36片、おまけを付けて40片(20片入り2箱)を持って行く(山行後は5片余った)。燃料1箱は折りたたんだアルコールストーブの中に入ってしまうし、折りたたみのスプーンやフォーク、キッチンペーパー(18枚。トイレットペーパーは溶けるので嫌い)、ライターと一緒にメスティン(大?)に収めてしまう。とてもスッキリする。

 

最初に、この食事システムの検証結果を書く。

まず朝食は、粉ミルクとあんパン程度で出発可能。粉ミルク(赤ちゃん用)は1袋100ccだが、200ccにするのが良いだろう。食べ慣れぬシリアルは一回目の朝で飽きてしまった。またミルクとスープをどちらも楽しもうと思ったが、スープを飲む気が起きなかった(一度も飲まなかった)。そしてなんとかミニトマトを持って行きたい。たいてい潰れるので、潰れないケースにパックして持って行きたい。

行動食でも手を付ける気がおきないものがあった。チョコを塗られたシリアルバーや、ナッツ類だ。一方で、ドライフルーツやカロリーメイト、サラミは好きなのだと判明。飴も歩きながら口に放り込むのに良い。ポテトチップスも良かったが、袋が気圧低下で膨らむ点は好きではない。これらの好みが生じる理由はよく分からないが、他にもおいしくて高カロリーで足りない栄養を補えるものを発見していきたい。

そして昼食にお湯沸かす心と時間の余裕がない。ラーメンは出口が見えてきた薬師岳頂上で食べたが、アルコールで時間が掛かるのも手間。行動食で栄養補給し、テン場についたらゆっくり何か(ビール?)を食べることとする。

夕食はお湯を沸かし、アルファ米とレトルトで良い。プラフも美味しかった。モンベルの2分でできるドリアも試してみたい。フリーズドライのおかずはビーフシチューがおいしい。カレーも悪くはないが。

 

(食事・完成型)

朝:粉ミルク(200cc)、あんパン、オリーブオイル、ミニトマト(・・・500kcal)

行動食:1時間ごとにカロリーメイト1本×4回、たまにサラミ、飴、ドライフルーツ(・・・700kcal)

夜:アルファ米フリーズドライビーフシチュー(・・・600kcal)

1日1800kcalではすこし少ないな。しかし今回食べたのはこれくらいだと思われる。

水はプラティパスに2lの水入れて、ペットボトルに500mlのポカリを作って運んだ。ハイドレーションは好き。たまに飲むポカリも好き。2lの水は、ラーメン作らなければ足りる量。

 

器具類は、アルコールでは沸騰が不十分であることから、ラーメン作るのには向いていないことが判明。とくに山でラーメンを求めていないので、アルコールバーナーで作れる物を探していくこととする。キッチンペーパー18枚(1回2枚)はちょうど良い量だった。家庭用ガスコンロ用のアルミガードを適当に切って、風防として使ったのは良かった(メスティンに収納)。

枕は、そもそも枕用として考案した3cm厚のタッパ(バッテリ、ヘドラ、エマージェンシーシート、テーピング、ガムテ、葛根湯・芍薬甘草湯、絆創膏、針など)に着替えを乗せてタオルで巻くとちょうど良い。夜中に目が覚めるのは織り込み済み。8時頃に寝て、4時頃起きて準備すると良い(食事と準備には1時間半かかる)。針は今回も足親指の水ぶくれ潰しに使った。小学生時の裁縫道具の針入れなので、もうちょっと小さいのに換えたい。

 

へドラは夜間のランタンとして使うが、光源が強くて不快なのでシェードを付けたい。これまではレジ袋をかぶせてきた。今回は出発前に①プチプチ、②メッシュ入りポーチ、③シリコンポーチを試し、光が柔らかいシリコンポーチを採用。メッシュ入りポーチは財布として重宝した。

 

●1日目

6時に家を出る。サンダーバードで買い物をし、立山駅の駐車場は、駅の南を流れる川沿いに駐められた。家から持ってきたおにぎりとサラダを食べ、牛乳を飲み干し、登山靴を履いて出発。カルデラ博物館の裏を通り駅へ。

一週間ほど前に7時40分で予約したが、その後臨時7時30分が予約可能だったので、前のをキャンセルした。美女平のバスもすぐに臨時便が出る。何度も見ている滝や弥陀ヶ原をつい写真に撮ってしまう。

室堂発は9時。一ノ越経由で浄土山竜王と目指せるが、浄土山直登ルートを選ぶ。室堂山の展望台でみんながのんびり展望しているのがのどかで良い。槍まで見える。とりあえず山に登る人は、槍が見えたら「ヤリ」と口に出したくなる、の法則を発見。

左から、浄土山、鬼、獅子、五色ヶ原、雲に隠れて薬師

去年に続く浄土山の登り。意外と急な斜面もあるが、二度目なので面食らわない。オコジョが居そうな岩や穴があるが、出会うことはできず。

順調に浄土山に到達。若干急ぎすぎたのかも知れない。ここで追い抜いた人たちには、いずれ追いつかれたり、抜かれたりする。

浄土山頂から、左の立山と右の竜王

竜王は荷物を置いて5分ほどでピークに到達。ダムの向こうに△の山が見えるが、なんだろうと一緒に居た人と話す。どうも針ノ木だろう。

 

次は鬼岳。2,3日前に、60代男性が滑落し頭や背骨折る重傷とニュースがあった。その滑落場所で、滑落時に近くにいたという女性がたまたまいて、「音がして振り返ったら」というような生々しい話を聞ける。とくになんともない、砂地に10cmほどの石が転がる緩い坂道。それでも道の端に脚を置き、そこが滑ったら10mとか転がっていくんだろうな、と想像できる。鬼岳はピークへの道はなく、トラバースするのみ。

道に残る滑落痕 おそらく景色を眺めて脚を滑らせたのでは無いか?

次は獅子岳。五色ヶ原から見ると、ピークから尾根が東に延びており、獅子が伏せている姿に見えるからその名前なのだろうと思う。竜王すぎて、鬼、獅子、ザラ峠までは急登、急降で、絶対戻ってきたくないな、とその時は思ったが、翌日以降の上り下りを考えると、それほどキツくないと今は思えるが、実際にどうだか分からなくなってきた。

獅子岳を下りる頃には雨がパラつき、本降りになって慌てて雨具を着込むのがイヤなので、すぐ上下とザックカバーを付ける。まだ暑いので、ズボンはまくっておく。ちなみにそれまでは日差しが強く、ハット、サングラス、首にタオル、長袖ボタンシャツは前開放、で登る。

ザラ峠は霧の中だったが、たまに晴れて「ザラ」な感じが見えると異様な峠と分かる。立山カルデラはこの日は見えず。

 

ザラ峠から五色ヶ原に向かう頃には、雨が強くなり、雷も鳴っている。後立山か、左前方5秒ほどの距離なので、あまり怖がらずハイマツ帯を歩いていたが、後ろにいて、あとで仲良くなる女性3人グループは身をかがめてやり過ごしていたそうだ。確かに怖かったかも知れない。その後、その女性グループがスゴ乗越小屋のスタッフに「どうすべきか」聞いたところ、「運」と言われたそうで・・・。

ところでスマホ楽天)は浄土山あたりから繋がらなくなり、室堂の写真だけ家に送って、その後の写真が届かないとなると心配するだろうなと、こちらが心配になってしまう。五色ヶ原山荘では繋がるだろうと思っていたが室堂の電波に繋がらず(ドコモ、auなどは繋がる様子)、キャンプ場でも黒部の電波に繋がらず、翌日、越中沢岳あたりでようやく繋がった(実際にはあまり家族は心配していなかった。登山のリスクを知らない家族で助かった)。

五色ヶ原山荘に寄る予定ではなかったが、雨も降っていてテントも張れないので、申し込みと電波のため、そしてレインコートを乾かすためにも寄る。同じようなテント泊者が10人くらいいた。1時間くらい待って出る。この小屋には風呂もあるらしい!

テン場は小屋から15分ほど歩く。木道多くて歩きやすい。テントは40張りくらいあったか。明日薬師岳を越えたテン場まで行くという人も居てビックリする。登山の良いところは、信じられない体力の人々がいることを思い知ることができるところだと、今回の登山で思った。他に、トレイルランの人で、スゴ乗越小屋で「次の日には上高地に行きたい」という人も居てビックリ。

テントでゴロゴロしていると、左足を上げるときに膝が痛むことに気づく。この先どうなるのと、ちょっと怖くなる。明日の朝に治っていなければどうするか。元来た道を引き返すか、無理してでも薬師方面に進み3日歩き続けるのか(次の日の朝の盗み聞きで、黒部湖に下りる道もあることに気づく)、とにかく寝ることに。

●2日目

朝起きると、なんとなく膝はいけそう。テーピングだけは持ってきていたので、それを膝にX字に貼る。ズボンは半ズボンにもなるタイプだが、初めてその機能を使って、膝を剥き出しにしてテーピングする(便利!)。

五色ヶ原は鷲岳の東に広がるが、鷲岳のピークには道がない。その南の鳶山の山頂から立山カルデラが見られる。

この辺りで電波繋がる。脚、痛む。持ち上げると痛むので、左は右足のちょっと前に出す程度で、右足を大きく前に出すようにする。左足を強く地面に置いても膝は痛まない。どうも左膝内側のスジ(腱)を岩にぶつけた(1日目にそんなことがあった気がする)ようで、ヒザ軟骨の痛みで無いのが、良いような悪いような。

そこそこ大きい山体の越中沢岳からは、急降、急登しスゴの頭へ。「スゴ」って何だろうと思ったが、花崗岩が崩れた真砂(まさご)が現れたので、まさごの「さご」がスゴになったのだろうと推論する。(スゴ乗越小屋のスタッフによると、スゴとは「数合」の意で、熊猟の成果の数あわせをした場所だからだとのこと。目立つ形の山なので、それもアリかも。)

 

スゴの頭からスゴ乗越までまた下り、また登って小屋を目指す。雨も降り出し、樹林帯でもアリ、小屋は見えず、ここはキツかった。コースタイムより多く掛かった。小屋、無くなったんじゃないかと思った。なんかスゴくデカいオモトみたいなのが集団で生えてる場所があってオモロかった。

雨の中、スゴ乗越小屋のテン場に着き、きれいなスペースがあったので、リュック置いて小屋に行く。スゴ乗越で励まし合った女性3人パーティは先に着いていてビール飲んでる。僕も思わずビール(500cc、800円)買う。トイレに行きたくなるのがイヤで、あと息子と登っているといつ何があるか分からないので(運転はしないが)山でのビールを控えていたが、今日は飲む!女性パーティとも仲良くなる。

小屋で雨を待っているウチに晴れ間が出て、眼下に虹が架かっているのに気づく。そのうち小屋泊の人も出てきて、爽やかなシーンに。夕日も良かった。

スゴ乗越小屋はほんと山奥。北からも南からも一泊しないと到達せず、エスケープルートも無い。尾根の樹林帯に埋もれるようにして立つ。もう二度と来ないだろうな、とその時は思った(今もそんな気持ち)。

夕食と翌日の飲み水のための湯沸かしをし、女性パーティが隣だったので、「湿布」という言葉を盗み聞きして、脚の事情を話し、2枚もらう。助かった。これからは持ってくるようにしよう。翌日は晴れてるウチに薬師に着きたいので、6時には出るように4時頃起きるつもりで寝る。

●3日目

4時に起き、5時半に出る。濡れたフライやテントふきに使ったタオルは、ザックの外に挟んで乾かすことに。

これまでと違い、今日は上りがメイン。間(あいだ)山も余裕(ここでフライを乾かした)。そこから北薬師までの道は、広々していたり、浅い谷の底だったり、歩くと無性に幸せを感じた。その谷間の空間で足を止めると、ヒヨヒヨと鳴き声がするので目をこらすと、ライチョウの子供、そして親鳥も。後続の人に教えたり(そういうことするのは初めて)してちょっとうれしい。

メスと子(3羽?)

その後、岩を飛び渡る場所もあり、岩稜細尾根を通ったり、バリエーションが大きく楽しい。北薬師を超えると、特別天然記念物薬師岳の圏谷群が目に飛び込んでくる。見たかったんだよねー、これ。富山市から見えない東の斜面で、4つのカールがあるらしいけど、ここからは1つ(金作谷)しか見えない。赤牛岳からは4つ見えるようだ。

11時、ついに薬師頂上。富山市側はちょっと雲で見えなくなったが、裏銀座、ヤリ穂高、笠がよく見える。ラーメン食べて、1時間の休憩。

あとはひたすら下りる。薬師岳山荘、薬師平のケルン(そこから先の下りは、涸れ沢を急降するが、下りもつらいが、登りはなお辛そうだった)、薬師峠キャンプ場。

薬師峠キャンプ場は、なぜか個々のスペースが微妙に小さく、そして微妙に斜面。それでも静かそうな場所を見つけ、煮炊きする場所はほとんど無いが湯を沸かし、のんびりする。500ccを二本飲む。

●4日目

10時頃の折立のバスがあるとおもっていたら、その時刻表は今年のでは無かったみたい。キャンプ場の受付(太郎平から出張してきてビールも売ってる)でその時間のバスが確認できなかったので、この日の朝に太郎平小屋でも確認したが、無い模様。

1000mの下りということで、下りは脚がガクガクになるので山に行く前から恐怖だったが、途中で会った人が「整備されててラク」と言っていたのを心の支えにしていた。整備(木道)は途中までの緩斜面で、そこそこ急斜面の標高差500mはやはり長かった。花がよく咲いていたので、それを楽しみながら、のんびり下りる。

7時にテン場を出て、11時に着く。12時半のバスで有峰口駅へ。初めて乗る富山地鉄立山駅へ。駅レストランでソフトクリームを食べ、車に乗り安堵。

 

今後の改善点

  • タオルの枚数は要検討。汗ふき、テントふき、まくら
  • 手袋は2つ必要。行動用と、それが濡れたとき用(雨に濡れた後は指先が寒い)
  • 着替えは3泊で1回分で良かった。涼しくて狭いテント内で着替える気持ちがあまり起きない。それでも、さっぱりシートなどあると良いだろう。顔の脂取りシートもあって良かった。
  • 浄水器。2lほどのお湯を沸かすのに時間と燃料が浪費される。これが無く、ラーメンも無いなら、朝晩2片ずつ、3泊四日(6食)で12片で足りることになる。
  • 調理道具は、メスティンとアルコールで良い。メスティンを小さい方形コッフェルに換えることも考えられるが、燃料やコップ、ハシ、ライターをすべて放り込める今回のメスティンも良い。コップはシェラカップで無くて、耐熱性のある小さなプラコップ(直径7cmの)に換えたい。
  • メスティンの裏にはアルコールが燃えたタールのようなものが着くので、拭き取って、カバーに入れてザックに仕舞いたい。
  • ミニトマトを潰さず持って行け、食べたら小さく収納できる容器。
  • ザックを下ろしたときのハイドレーションの飲み口や、ハシ、フォークなど、口に入れる部分に汚れが付かないようにするカバー類がほしい。
  • ストックを、ザックを下ろさずザックに収納できる装置
  • 枕の滑り止め布?

そらも長崎に・一段落会

息子が帰り、黒柴「そら」と二人暮らししていたが、初めての夏に向かう抜け毛で部屋がたいへん、散歩もたいへん、出張も行けないということで、長崎で飼ってもらうことにした。息子に生き物を飼うことの大変さを知ってもらうために飼い始めたのに、自分が大変になっていては意味が無い。

出発は5月末。息子の自転車や勉強机、そらのケージを持って行くために、車で一泊二日。テントで泊まれば良いかと最初は考えていたが、ペットと泊まれるキャンプ場は普通に高い。ペットと泊まれる安い宿が兵庫県赤穂を過ぎた日生(ひなせ)というところにある。いつも姫路辺りで泊まっているので、ちょっと過ぎた赤穂辺りならぴったり。和田山にも候補地があったが、今回はちょっとでも長崎に近いところで。

荷物の積み込みはかなり頭を使う。詰め込み予想図まで描いて、見事に詰め込んだ。机、ケージ、本棚、自転車、イスなど。特に最後の2つは詰め込みにくい。ほかに冬物衣類など、かさばるもの。そして「そら」もどう詰めるか。きれいに収まった。

出発の朝、6ヶ月先輩の近所の赤柴「リンちゃん」と遊んで挨拶。それ以来ずっと会っていない。そらを飼って良かったことの1つは、いろんな人と挨拶できたこと。息子もそらの名前も、近所の人に知れ渡っていて驚いた。

SAで休憩を挟みながら、そらもSAで夕食食べたりしながら(もちろんドッグフード)、ホテル前の路上に駐車できる夜8時頃に日生に着く。

近所でビールのみながら晩ご飯を、と考えていたがまったく店が無く、台湾料理屋で弁当買ってホテルで食べる。ホテルは料金前払いで、まったくチェックインとか無く、鍵はどうやって受け取ったか記憶にない。そんな自由さも良かった。

翌朝は瀬戸内海の海沿いをそらと1時間近く散歩。おなかペコペコになりながら出発し、コンビニでおにぎり買って食べながらまた散歩し、ようやく高速に乗る。ホテルの近くにコンビニもないので。

昼ご飯は広島でお好み焼きをと思って、夜の間に調べたら、沼田の上り線SAのお好み焼きが旨いとのこと。下りSAから高速バス用階段を使って上りSAに行けるとのことで、11時すぎにSA着で、散歩がてら反対側のSAに行き、おいしくいただく。

その後強い雨も降ったが、暗くなる前に長崎の家に。

3泊くらいして、帰りは一人で、からっぽの車で帰る。また赤穂を過ぎた相生の道の駅で車中泊車中泊がしやすい車を買ったのに、これでようやく2度目。暑さ寒さが怖くてなかなかできなかったのだが、5月末ということもあり、驚くほど快適だった。

福崎からそのまま北上してしまい、一般道を通って福知山まで行く時間ロスはあったが、なんと言っても一人で気楽。

一人の富山は寂しいが、とくに食事の用意が自分のことだけ考えれば良いのでとてもラク。息子との時間もかけがえの無いものだったし、2年、3年と一緒に暮らす覚悟もあったが、仕事をするとなるとややしんどいのも事実。さらに実家で母が一人暮らしになり、そちらのこともある。

そんな実家では、僕だけが父の遺産相続して資産を管理することになり、母と3人の子供が揃い、甲府家庭裁判所で僕以外の3人の相続放棄申請を行う。昼ご飯は4人で台湾料理。そして姉の入所施設で今後の相談をし、夜は実家近くのネットで高評価の店に。一段落した、ということで。

息子とまで離れるとは・・・

息子(小6)が富山を離れることになった。僕の財布からお金(数千円のときもあれば1万円のときもある)を抜くことがあり、叱ったばかりなのにまた繰り返したので、激怒し「長崎に帰れ」と告げた。これまではそう言っても「いやだ」と否定してきたのだが、今回はおとなしく従っている。

母が一人暮らしになったので、なんとか母を頻繁に訪ねるか、同居できないかを考える中で、息子が母と同居し、僕は毎週訪ねるという形を探った際に、息子が富山の学校から転校したいと言うので(理由はネガティブな内容も含む)、これ幸いと検討を進めたのだが、ゲームやPCの時間管理ができず、母ももう80近いので気力体力的に小学生の相手は難しいのでは無いか、と別案を考えていた中での、急展開だった。娘達が今年から高校生になり、あと3年は僕が息子を引き受けたかったが、「(3年後の)中3になったら長崎に帰る」と伝えたことも、息子の立ち位置(自分の居場所)を不安定にし、それでお金をくすねたり、長崎に帰るのを素直に聞き入れているのかも知れない。

何度か、言って聞かせて思いとどまらせようとも考えたが、小学生の父親との二人暮らしは、やはりいびつなもので足りないものがある。どんな家族にも子供にも足りないものはあるのだが、無理をしてまで足りない状態にしておく必要も無い。無い物ねだりをして手に入れたからといって、その幸せが長く続かないことも、小学高学年ならわかり始めて良い頃だ。息子はいろいろ考えている。幼稚な振る舞い以上に、考えは真っ当であったり大人びていたり常識的だったり自分らしさがあったり。そこまで育ってくれたこと、父親としてそれに気づけたことは、この二人暮らしの最大の成果で、常に覚えておかなければならない。これから難しい年頃になる息子と、距離が生まれる可能性もあるだろうが、息子には息子の考えのベースがしっかりできていることを、忘れては成らない。

二人暮らしは1年と1ヶ月だった。毎日、相手をしたり、料理をしたり、大変だったが、やはり失うとなると悲しいし、空虚感が著しい。しかし、前を向かなければならない。

 

父逝く

父が育てた草花で顔の周りを飾った


47年間にわたり、いろいろなことを僕に教え、感じさせ、心配したり叱ったりしてくれた父が、87年の生涯を閉じた。小さかったガンを放置し、飴で歯を失い、なんと体の管理を怠ったのだろうと病院で医者の話を聞いているときは感じていたが、がんの痛みに苦しんだとはいえ、介護も20日程度しか必要とせず、その間に残される者の心の準備もさせ、母に看取られ逝った、潔い死だったと今は思う。

本をよく読む父で、本を書きたいとも言っていた。日記らしきノートをつい見てしまうと、父が想像以上に自分自身のことを考え、悩み、苦しみ、辛い思いをしていたのかを知った。父は、母や子供のことを心配しているはずだと思っていたが、それよりも友を無くした悲しみや、家族に悩まされることを嘆いていた。それで返って父を客体化して見ることが出来、失ったことについて心理的には楽になった。

遺言により、葬儀は家族のみ、直葬で行った。お金も掛からず、お坊さんの手配も要らず、親戚や知人とのやりとりも要らず、家族だけで静かに送り、一緒に帰ってくることが出来たことは、家族として本当に良かったと思う。

亡くなって5日ほどで、今は「人が死ぬのは当然のこと」と思えるが、そのうちいろいろな思い出が蘇り、父の居ない実家を思い出したりして、悲しみは深くなっていく予感がする。