息子(小四)と富山二人暮らし2週間

夏休みの息子が8月10日から24日までの二週間、富山に付いてきてくれた。僕が長崎に行く用事があったので、一緒に羽田で乗り換えて富山空港に夜到着。台風はうまくかわせた。夜でも暑い富山を覚悟してきたが、雨が降った後ですずしい。

 

11日、八尾からファボーレ(曇り)・・・八尾の曳山展示館、おわら資料館、散策(ソフトクリーム2本付き)を楽しむ。おわらはマンガで知っている息子だが、はじめて映像で見て「もっと早い音楽かと思っていた」とのこと。そこから北上しファボーレの登山用品店へ。息子は車中で寝る。登山に行くなら、2年前に寒さを思い知ったので、防寒具を買いに。セーターは売っていないのでフリースを選ぶ。隣にレインコートがあり、今は不測の雨に対応する程度のポンチョしか用意していないので、ちょっと気にしてみていると、店員さんがうまくおだてて、息子は赤いレインコートを買うことに。「こんな本格的なレインコート買うなら、雨の中でも山に登ることもできるっていうことだよ」と告げるが、この言葉を息子は覚えており、そのおかげでこのあと土壇場に登山に行くことができ、山の雨も乗り越えられたとも言える。夜、息子は頭痛がするとのこと、熱中症や車のクーラーで疲れたか。父の手料理のまずさに驚いたか・・・。

15000

12日、市立図書館、ガラス美術館ショップ、映画(雨)・・・見たいと言っていた映画を見ることに。14時ごろの回を見るために、午前から図書館にでかけ、併設のガラス美術館ショップでビーカーをおみやげに買い、のんびりゾロリを読む。昼飯は総曲輪ベースでパンや牛串をつまみ、紀伊國屋でコロコロを買ってから、映画をポップコーン片手に見る。フリーの卓球をして帰る。富山県スタンプラリーの台紙をゲット。

5000

13日、文具店、寿司(雨)・・・宿題をしていると鉛筆削りが無いことに気づいたので、近くの文具店に買いに。雨画降り、水たまりに靴で入る息子。風邪引かないか心配。文具店でジュラシックパークの鉛筆削りを買い、腕時計なども見る。帰りにジョーシンのおもちゃなども見る。ミニ四駆に惹かれている。夜は近くの「廻る富山湾寿司」で持ち帰りをして、ビールとこどもビールを買って家飲み。

5000

14日、王将、科学館(雨)・・・雨なので室内で楽しめる富山市科学博物館に。福井恐竜博物館や大阪の恐竜博も行きたいが、コロナで無理かも知れないので、とりあえず富山を押さえておく。昼飯は王将で餃子二人前と春巻き、中華丼。富山市のGotoイートを使う。科学館は一階の砂が出る振り子を並んで待っていたが、前の子がトラブっているのでイライラして待てなくなり離れる。他社への許容性の無さは子供故か親譲りか。恐竜ゾーンを見て、足跡化石などしばらく観察する。素通りする展示もあれば不思議な物に興味を持ったりする。全ての展示を観よう、知ろうという気は無い。二階に行くと発電したり磁石でリニアモーターカーを走らせたりする展示があり、発電で同席の男の子と競争したり、リニアカーが徐々に上達したり。立山ゾーンではテレビ画面でマウス操作して文を表示させる展示を体験し、ダイヤモンドダストの生成体験も楽しむが、ジオラマや標本はほぼ見ない。富山の地形ゾーンでは水の循環を理解するためのビーズ運び体験に長時間を割く。やってくるビーズを次ぎのパートに送り出す作業を延々と繰り返すのだが、単純作業ながら仕事が処理され行くことが人間は嫌いでは無いのだろう。夜は涼しく広島風お好み焼き。

1500

15日、美術館、運河、路面電車(晴れ)・・・珍しく晴れたので、南富山駅から一日乗車券を使い路面電車富山駅、インテック前まで乗り、富岩運河水上ラインの乗船券を買う。岩瀬浜行きは新しいかっこいい船で運行されるはずの所、機械の不具合で旧式のものに。待つ時間で隣の県美術館に行き、屋上のオノマトペの広場で遊び、昼食は美術館のレストラン(ビール)、その後船で中島閘門のエスカレーターを体験し、ロシア行きの中古車を見たり、沖合の茶色い水をみたりして岩瀬浜へ。息子はまたアイス(ビールとのバーターだったか)。町並みに息子の興味は向かず、電車で帰り、富山駅でコンテスト用の写真を撮ろうとするがイメージした構図がなかなか撮れず諦めて帰る。息子は目をかゆがるも、おみやげを見たりして、バスで帰ることに。家の近くの農協前まで行くバスがあり、家で休んだ後、夕食のためにまた一日券で出かけることも二人で画策するが、しんどいこととコロナが心配なために中止。息子は家では一時間マインクラフトできれば文句ない。

6000

16日、五箇山、温泉、ピザ(曇り)・・・雨では無いので五箇山に行っちゃうことに。今回の富山旅行では富山県全域を回ることを目的として、高岡・射水・氷見、五箇山(南砺の散居村は2年前に見ている)、黒部・宇奈月に行きたいと考えているが雨でなかなか行けなさそうだ。一番ユニークで世界遺産でもある合掌造り集落に行くこととする。下道で福光まで行き、ちょっとだけ高速に乗る。去年は上の子たちと白川郷に行き、五箇山・菅沼集落も寄ろうとしてあきらめたことを思い出した。去年高速に乗ったインターに、今回は下りて白川郷と反対方向を目指す。駐車場前に映像資料館があり、暗い中、見学者は自分たちだけでやや怖いが、厳しい暮らしが疑似体験できた気もする。菅沼集落は廃村のようになっていて独特の雰囲気があったが、歩いて五箇山に入ると明るく、お店もアリ、観光客もちらほらいて、イワナ料理を出す店ではその住人の子供たちが遊んでいて、息子はさっそく遊び出す。魚を見せてもらったり融雪用の池の周りを走ったり(控えるようにと看板が立っていた)したあと、合掌造りの店内に入りレゴで遊び出す。食事スペースでも店の子供たちは遊び放題なので、落ち着いて食べられない反面、こちらも自由に息子を遊ばせたり、食後も遊ばせてもらって僕だけ資料館を見たりする。イワナ定食ととち餅揚げ出しで二人分の食事とする。帰る途中で突然温泉に入ることとなり、さらにその先でピザを買って帰ることに。

6000

17日、上滝農場、市役所、D&Department、ファボーレ(雨)・・・午前中は職場で仕事をしてから、昼食に上滝農場でヤギや鶏と遊びつつ、カルボナーラとチキンカツ定食、グルメ本サービスのウインナー、息子へのサービスのスープとアイスで一部食べきれず。息子は犬のしつけの本を読み、室内(フロア)にいる犬をなでて遊ぶ。「しつけは飼い主が手を下すのではなく、『天罰』と感じるように下す」とあった。一旦家で休憩し、その後市役所で僕のマイナンバーカードを受け取り、道路を渡ってD&Departmentで土産を見る。ガイドブックに載っていた商品を置いているショップで、他の店には置いていない富山グッズもあった。その後ファボーレに行きアルミペグを買う。ダイソーで登山用の軍手、使い捨てのスプーンを買う。携帯用箸とスプーンがなかなか買えず。

3000

18日、古本屋(曇り)・・・のんびり家で宿題の日。午後から古本屋に行きゴルゴを探す。富山でも空き時間には段ボールで銃を作っていた息子だが、どこかでゴルゴを知ったらしく、古本で買おうという話になった。たまに大人の描写があるのでチェックが必要。息子はポケモンの漫画も買う。

2000

19日・・・登山(テント泊)・・・朝9時にスーパー行くが、よく考えたら開店前だ。9時から開くドラッグストアで栄養バーやサラミを買い、9時半に開くバローで乾燥野菜、チーズなどを買う。11時頃家を出て、アルペン村でます寿司(初めて見た『あぶり』)を買い、立山駅に向かう。このころだと朝に山から下りてきた人が居て駐車場が開くと読んだが、コロナのせいでそもそも人が少ないこともあり、駅前に停められた。2年前は朝8時すぎに着いて遠くの駐車場に停めた。チケット売り場で便を選ぶ。美女平での待ち時間とか、アドバイスをくれるので、立山駅で30分、美女平でも30分ほどの待ち時間を取るプランで行くことに。構内でますの寿司を食べる。売店に家にある掌サイズより大きな雷鳥ぬいぐるみ(3000円)があり、「3000メートルの頂上に立てたら買ってやる」と約束したが、これも後の登頂に一役買った。

ケーブルカーでは最後尾でレールの間を通るケーブルとそのガイドとなる車輪を確認する。美女平からかのバスはなぜか時間より早く出て助かる。ガスも無くよい景色。弥陀ヶ原が気持ちよい。富山平野も見える。称名滝やスギの巨木の説明板など、息子がちゃんと撮っている。眠らず室堂に到着。

なんと室堂では雨がぱらつきだしている。テント場までの途中で大ぶりになってもイヤなので、外に出たところでレインコートとザックカバーを装着。2年前は数百メートルでザックを放り出した息子だが、今年は最後まで背負い続けたのと、地獄谷からのガスに注意したり、ネガティブなことををまったく言わなかったりと、成長を感じる。

設営時も雨は降らず、テント内で息子はひそかに持ってきたポケモンを読む。5時すぎに食事の準備を始め、いつものフリーズドライのカレーと親子丼、アルファ米。息子が水をくんできてくれたり、バーナーのセットをしてくれるので助かる。

テントでは二人とも寝られなかったようだが、片方が起きているとき、もう片方は寝ているということが多かったようで、お互いに相手がよく寝ているように見えるようだ。実際は二人ともそこそこ寝ていたのだろう。一昨年は桃太郎を話したので、今年は浦島太郎。

食料3000

ます寿司1800

アルペンルート9000

テント1000

 

20日、雄山登頂、山小屋泊・・・眠りが浅いため、朝は5時頃起きる。ちょうど良い。朝ご飯を食べながら、息子は今日中に下山したいと言うので、それなら早く登らなくちゃという話をする。ルートはまだ入山まで決めていなかったが、前日に話して、とりあえず一ノ越から立山頂上を目指すことに。一ノ越まで2時間、頂上まで1時間なので、場合によっては稜線を歩いて剱御前まわりで帰ってくることができるかと期待。それから撤収し家に帰ることもできるだろう。しかし歩き出すとペースは予想以上にゆっくりで、6時すぎに出て10時半ごろに一ノ越、昼食を食べて11時半に雄山に登り始めるが、「子供は一時間もかからず登ることも」と山小屋の人は言うが、「登山はゆっくり」と教え込んだ我が子はどこまでもスローペース。12時頃にはガスが出てきて、13時11分に神社着。コーヒー、ココアを飲んでいるうちに雨が降ってきたので、山頂でのお祓いが中止になり、社務所でのお祓いを受け、2時に登頂、3時頃までに一ノ越に戻ってきたと思うのだが、すさまじい雨に遭いほうほうの体で小屋にたどり着く。帰りのバスの時間にも間に合わず、息子は泣き出しそう。防水性の無い靴のため濡れた靴下を脱がせ、幸いレインコートのおかげで上着は袖口のみ、ズボンも裾のみで、フリースの代わりに予備で持ってきた僕のセーターを着せ、靴下も薄手のものが入っていたのではかせて低体温に注意する(持ってきていて本当に良かった)。ちなみに僕はミズノのレインコートとキャラバンのゴアの靴だが、濡れはほとんど無かった。袖から若干雨が入った程度。やがて雨が止んだので、どこか山小屋に泊まることにして息子を元気づけ出発する。小屋の人には親切にしてもらい、無料のビニール袋で息子の靴下を多い、そのまま靴を履かせる。レインコート無し、スニーカーの大学生男女二人組がずぶ濡れでいたので心配したが、無事に室堂に着けたようだ(その後、見なかったから)。山小屋はテント場に近い雷鳥荘のイメージだったが、息子も僕も疲れ果てていたので一番手前の室堂山荘に5時すぎに飛び込む。二人で24000円だが、贅沢に個室を使うことにし、乾燥室に濡れたものを置き、まず温泉。生き返った。息子はテレビが無い部屋に「高いのに!」と憤っていたが、山小屋も体験できて良かった。夕食では缶ビールを飲ませてもらい、夕日の写真を撮って、食後にもう一度お風呂に入り、僕が歯を磨きに行っている間に息子は眠っていた。

頂上参拝1400

コーヒー・ココア800

一ノ越水・アイス1300

室堂山荘25000

 

21日、下山、焼肉・・・本当にぐっすり寝て、7時に朝食。9時のチェックアウトまでのんびりし、歩こうとしたら雨画降ってくるので屋根の下でレインコートを着て弱くなるのを待つ。息子も天気の変わりやすさには慣れ、文句も言わず準備し、待っている。いつも通らない、ミクリが池とミドリが池の間の道を通り、テント場には10時に着く。そこから息子はテントに置いていっていた漫画を読み始めたため、一人で撤収開始。放置していたテントはチャックの閉め方が甘かったため、フライシートがめくれて雨が少し入ったようだ。湿った寝袋やマットを干して、中身のパッキングをして、テントを乾かす頃には息子も手伝ってくれ、12時に準備完了。写真を撮ってもらい、出立。雷鳥荘で昼ご飯にピザとカレーを食べ、スタンプ押すのも兼ねて富山弁ポスターも買い、2時すぎにターミナルに。15分後に出るバスと3時すぎのバスとどちらが良いか聞くと15分後というので、もっと山に居ても良いのにと思いながらバスに乗る。どの山に登ったときか、山から離れるのを寂しく感じたことがあり、それが自分が山を好きなんだなと感じた最初かと今は思う。今の息子がどう山を感じているのか知らないが、話している感じではそれほど悪い印象では無いようで一安心。激しい雨にも打たれたが、晴ればかりの山は無いわけで、好き好んで雨の中を歩く気は無いけれど、晴れの日でも雨に備えておくことの重要性を感じられる良い機会だったと思う。バスではやはりいつのまにか寝ており、3時40分のケーブルカー、立山駅でぬいぐるみ(おこじょにするか雷鳥にするかかなり悩んで)を買い、5時前にアルペン村でアイスを食べ、6時前に家に着いた!焼肉を食べに行くが、蔓延防止のためにビールが飲めずショック。息子もナゼか食欲が無く、少し持ち帰って家ビール。息子はなぜかおごってくれようとし、こちらもおごらせてあげたい気持ちが芽生えるのだが、思いとどまる。息子のお金ではあるが半分親のお金でもあるし、簡単に人におごるクセも付けたくないし。おごることで人が喜び自分もうれしい、というのは、ちょっと麻薬的だ。

6000

 

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学生時代に登って以来20年のブランクのあった登山で、子供と登るようになって3年目。まだまだ体力に自信は無いが、子供を励ましながら自分も3000メートルに立つことができた。道具として今回の特徴は・・・

レインコート・・・1万2千円のミズノのベルグテック → 水濡れなし

バーナー・・・長崎時に買ったカセットコンロ用を今回も使用 → カセット1缶で夜・朝・昼は余裕

ヘッドライト・・・夜のテント内でランタンとして使うためにビニール袋で包んでみた。→ 白い袋だとさらに面光源になって良いかも。

エマージェンシーシート・・・去年からテントの床(テント内)に敷いている。結露によるシュラフ濡れを防ぐ(今年はテント内の結露がなぜか無かったが)。大雨の登頂にも持って行ったら防寒になっただろう。

着替え・・・2泊だったが、着替えは一回分で良いだろう。その分防寒着を持って行って良かった。

子供用登山靴・・・ビジョンピークス(4000円)でも雨で滑らないようだった。防水性は無い。靴と靴下の間に挟むビニール袋が必須だった。2回登ったからもう処分でも良いか。

枕・・・空気で膨らます枕を持って行っているが、堅さが欲しい。

防寒具・・・冬にネックウォーマーとして使っている100円の女性用ヘアバンドを持って行ったが、息子も僕も耳あてとして重宝した。体幹部はセーターやレインコートで対応できるが、末端の凍えはツラいから。

次までに揃えたい物・・・スパッツ、枕、コッフェル、アルコールバーナー?、

22日、くつ、ゲーム、寿司(曇り)・・・テントは空き部屋に広げ、おとなしい家ご飯(お米+味噌汁)を食べ、ようやく夕方から動き出す。山に行けただけでも満足なのだが、もう一つ山梨の実家へも行っておきたい欲が生まれ、電話をすると翌日行って良さそうなので、急遽行くことに。そうなると富山最後の夜なので、マリオカートしたいという息子の希望を叶え、そういえばトレーニングシューズ買ってなかったことを思い出し、もう一度寿司を堪能することにし、ファボーレ内のすし玉で持ち帰りを注文し、炙りチーズサーモンが無いので帰り道のくら寿司で買うことにし、家では息子が「最後だから」とビアマグになみなみと日本酒を注いでくれ、ありがたく頂く!夜の12時頃に写真を注文し、松本のキタムラで受け取れるようにする。

6000

23日、山梨へ(曇り)・・・10時頃、家を出る。「また来るね」と息子が言っている。部屋は段ボールで散らかったままだが、きれいになると寂しいのでそのままでいい。忘れ物無いように気をつけたが、目薬を忘れた(保険証はサイフの中だが、すっかり忘れていた)。4月に使った神岡から安房峠を超える道を使う。登山シーズンなので混んでいないか心配(全然だった)。途中でます寿司を買っていく。あいかわらず気持ちが良い道で、すいすい進む。昼飯は松本のくら寿司で、鬼滅のファイルをもらう計画だが、到着は1時すぎの予想で、さらに混むかも知れないので、11時頃にドライブインでパンと牛乳で多少腹を膨らます。12時半になると、予定通り1時に着きそうな感じなので、前日に入れたくら寿司予約アプリで予約し、それでも早く着きそうなので、先にキタムラに行く。写真をもらうも、息子がスマホゲームにトラップされたので、くら寿司の予約に間に合わなくなる。それでもやや遅れて入り、食事を終えると、「ファイル配布終了」の衝撃。落ち込むかと思いきや、表に出さない息子にも成長を感じる。いろいろ自分で自分を納得させる思考力が身についているんだな。

塩尻北から諏訪湖南までは高速を使う。諏訪湖SAでなぜかトミカの集材機(プロセッサー)を買う。水を飲みながら諏訪湖を見る。到着前は、諏訪湖をコイに餌をあげられるような場所とイメージしていた息子。

16時ごろ家に到着。近所の公園でカブトムシのメスを見つけて持ち帰る。夕食後は恒例のトランプ。以前は負けると泣いていた息子だが、今回は一位になることが無くても泣かない。父もお酒をたくさん飲めるぐらい元気で良かった。

4500

 

24日、伊丹へ(曇り)・・・山小屋以上にぐっすり寝られたのは、涼しい気候のおかげ。15時40分の伊丹発に間に合うために、8時に出ることとする。カブトムシは庭に放す。どうせ遅れると思って7時40分頃に「もう出るぞ」と発破をかけると、写真を撮ったりしても50分に出られてしまって、もっとゆっくりできたと後悔する。小淵沢ICから高速に乗り、やはり途中睡魔に襲われながらも、14時に空港着。ジュニアパイロットの手続きをし、実家で用意してもらったオニギリと養老SAで買ったミソ串カツを食べ、付き添いとしてゲート前まで入り、一人で乗り込んで行くのを見送る。

その後は一路富山へ。琵琶湖西岸道路を使うなどするが、途中仮眠するなどして、富山着は9時過ぎ。

 

スーパーに歩いて買い物に行ったり、山の道を歩いたり、ピザが焼き上がるの待ったり、あらゆる瞬間に息子がいろいろ考えていることに驚かされる。ぬいぐるみが好きだったり、同年代の男の子に過剰なライバル心?を持ったり、姉たちには強気だったりとアンバランスなところはまだあるが、自分も子供の頃ぬいぐるみを触りたいのにガマンしていたことを思い出したりして、このまま自分の気持ちを大切に育って欲しいとも思うし、息子自身も「僕はこれが好きだ」と言えるほどなので、自分らしさを大切にしているのだろう。4月から富山に(一人で)来られるかと聞いたときに、みんなで住みたいとの返事で、心に刺さる。