来春から単身で富山

12月4日〆切の公募に一週間前から書類を用意し(鏡を入れ忘れ連絡先に抜けがあったりし)、12月10日ごろに面談に来るよう連絡があり(富山の賃貸住宅を調べていたら電話があった)、12月23日の面談のためにどうやって行くか(密を避け、早く、安く、楽に)を検討し、22日の午前に伊丹空港からリムジンバスで京都、午後に特急で富山に着き前泊、23日午後に面談し京都に移動し宿泊、24日に長崎へ、と決める。飛行機と京都泊を楽天トラベル(13,943円)で、JRと富山泊を日本旅行(赤い風船、10,400円)で予約し、Goto利用で安く抑える。長崎に帰ってからもホテルで隔離するよう家族に言われ、3泊8,190円で小浜で過ごす。

富山に何をしに行くのかは家族に言っていない。ポシャったときに要らぬ心配をさせるから、相談して反対されても意志を変えることはしないだろうから、という理由で。でも琵琶湖沿いで雪の比良山系を眺めている時点で涙が出そうに。長崎の家族のため(家の部屋不足、大学進学資金、自立)、山梨の親のため、自分のため(子離れ、仕事、趣味)という大きく3つの理由から合理的な判断であることを言い聞かせる。

京都は晴れて暖かいが、富山はどんより曇り、道路脇には雪が積み上げられている。面談(プレゼン付き)の準備を終え、夕食のために歓楽街をうろつくが安心できそうな店はなく、結局ホテル地下の魚の店へ。ホテルは温泉付きを選ぶ。翌日の面談は山裾にあるので、最初はレンタカーで行くのが効率よいと考えたが雪がどんなか分からず予約はできず、バスで行く予定で、午前中の過ごし方を考えて寝た。そこそこ緊張する。

翌日は快晴で、こりゃレンタカーで走ったら気持ちいいだろうと、富山駅手前の地元レンタカー店へ。Gotoクーポンが割り当てられているがスマホを持っていないので、お姉さんのスマホで僕のクーポンを適用してもらえないかと相談し、ちょっと無茶な話だけどお姉さんは承知してくれてゴチャゴチャやって4000円ほどで借りられることに。

で一路、八尾へ。神通川沿いを南に走ると、晴れ渡る空に雪を被った山がきれいで夢のよう。夏にはおわら資料館に行ったが、今回は曳山展示館。もし採用されたらこの地域に住むのも良いなと思ったが、冬の過ごしやすさはどうか調べるのも目的。曳山展示館は「動く不夜城」「藩のドル箱」などの表現が直情的で良い!カイコの飼い方の展示もあり、おわらの歌や絵、版画の展示も有り、ビデオのオワラ節がロビーから聞こえてくるのも良く、客は自分一人で、満喫した。

車を展示館に置いて散策。おたや階段、新町通りなどぶらぶら歩く。売り物件を二つほど見つける。おわらマンガ「月影ベイベ」に出てきた(と思われる)お好み焼きやで昆布のお好み焼きをお願いする。富山は昆布消費量が日本一で、歯ごたえが残るように細切りした昆布をおむすびにまぶしたのは朝食べ、お好み焼きにもそれが入っている。このお店のオリジナルでは無いと言うことだ。他にも暖の取り方など、コロナ禍でありながらいろいろ聞かせてもらう。富山に転勤になるかも知れないとも冗談交じりに話す。

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立山の写真を撮りながら面談会場に行く。滞在時間は1時間半か。なぜ今の職場を出るのか、を一番に聞かれたが、想定された質問だった。正直に言うのが良いだろう。和気藹々として、感触は良かった。昼のお好み焼きと緊張でお腹が重い。終了後、一路富山駅へ。レンタカーを返し、富山駅で夕食を買う。ホールのます寿司は多過ぎるので、個別包装の押し寿司にする。金細工など、北陸の職人文化が垣間見られるお土産もチラ見する。北陸新幹線で金沢へ出て、駅でつまみとビールを買い、特急車内で晩酌。京都のホテルも温泉付きだ。

翌日は伊丹空港で検査場奥の店で土人形おみくじを4つ買ってお土産に。諫早のコインランドリーで洗濯をして小浜へ。その晩、海鮮蒸しを食べていると、採用候補者として選ばれたとの電話を受ける。嬉しくもあり、怖さもあり。その電話で、給料を聞いて決めたいと率直に言う。子供の大学資金を貯めることが、この転勤の最重要項目だから、今より減っては笑えない。

翌日から先方から基本給や手当について、それをもとに年収を計算し現在と比較し、それが悩ましい数値だったため先輩や友人に聞いてもらったりする。決して大幅にアップするわけではないが、他の転勤理由も考慮すると、富山に行くという結論になった。富山の冬を乗り切るメンタルについても友人からアドバイスをもらう。正月休み明けに、正式に「行く」という返事をする。

正式な返事の前に、3つの理由とともに家族に話す。最初は給料がそれほど増えないかも知れないので、単身赴任でなく家族で行くことを提案し、引っ越し、転校について意見を聞くが、翌日にはやはりまず1年は単身赴任することを告げる。上の子は授業内容の接続を心配するが、日本の義務教育では心配ないことを伝える。下の子は、12月のうちに「どこか引っ越すのってどう思う?」と聞いたことがあり、もしかして今の学校や生活から逃げ出したいかと思い聞いたのだが、友達がいるからしたくないと言われたことがある。そこで「富山でも友達ができるぞ」と言うと「行く」という話になる。雪もある、アユ釣りもできる、とバラ色なことを中心に伝えている。1月になっても息子とは休日に公園で野球・サッカーなどするが、女ばかりの家に置いていくことが不安になり、一緒に4月から行くことを計画し、息子から母親に話すと「とりあえず9月から」ということになった。この先、どうなるか分からないが、一緒に部屋を探したり、学校や公園の場所を考慮するなど、息子も富山に来ることを念頭に生活の準備をしている。

1月20日に正式採用の連絡があり、現在の職場に退職届を提出し、目星を付けていた賃貸の問い合わせを始める。2月2日にウェブ内見を行い、2つの候補に絞る。今の職場でお世話になった先輩、後輩にも挨拶を開始する。連日、油断すると涙が滲み出てきて困る。

長崎の冬は晴れが多く、それが富山では見られない。海も空も、この時になって改めて美しい場所だと知る(以前からカメラを持ち歩いている)。16年ほど住んだ。結婚し、子供も生まれた。そして子供も大きくなり、自分の親が心配になる時期になった。親が元気で、子供は小さいまま、ということなど無いのだ。時間は流れ、バトンは受け継がれていくのだ。次の自分の役割を果たすために、今は環境を変えるのが自分にとって最善なのだと考えている。僕が悩んだ末に出した結論に、間違いは(あまり)無い。 f:id:U_S_K:20210202073756j:plain