2020立山旅行

コロナ禍で夏休みも短く、気軽に羽を伸ばすこともできないので気が滅入る。しかし、コロナはいつまでも居座り続けるので、今我慢すればよくなるというものでも無い。つまり、コロナに気をつけながら活動を再開する必要があるということだ。閉じこもっていればいいわけでは無い。いまの自分の認識では、コロナはクラスター性が強い。つまり感染者との密接な会話を通したウイルスの体内(肺)侵入がメインかつほぼすべての感染ルートだと思っている。手などを経由して鼻、口から入るのはそれほど多くないと考えている(風邪では鼻を触ることが感染ルートになるようだが)。まぁ極力マスクして、感染者に飛沫を浴びせられるのを回避すること、消毒液を見かけたら消毒すること、そして自分の感染が疑われたら即座に対処すること(保健所への連絡か安静・面会謝絶か)を怠らないことで、あとは普通に活動するしかない。冬にはまた高齢者への感染が増え、重症化も増える。症状が軽くても後遺症(血管の硬化が原因の、心筋症、だるさ、脱毛など)が起こるようだ。免疫ができるのかも分からない。積極的に感染する必要は無いが、閉じこもっていても、バーチャルで解決しようとしても、いつまでも続けられるわけでは無く、必要な活動は再開すべきだ。

というわけでどこに出かけるかというと、去年に続き立山だ。今年は上の子二人(中一女子)と行くことにする。上の子たちも中学生になり、あまり口も聞かなくなった。無理して話をしようとも思わない。自分の考えが揺れ動き、親とまともに会話できない時期はだれにもあるだろう。だから最後の旅行として、僕が子供時代から毎年出かけ、考え方に大きな影響を与えたように思える登山というものを、上の子たちにも体験しておいてもらいたいと思った。好きになるか嫌いになるかはどちらでもよく、そういう世界があるということを知ってもらえば良い。

子供たちには毎年のように旅行に連れて行った。自然のすばらしさという点では、石垣島珊瑚礁も見せた。もう一つあるとすれば3000mクラスの山岳地帯だろう。どうやって三密を避けていくかと言うと、自家用車で高速利用だ。長崎から姫路まで8時間走って一泊し、翌日姫路から富山まで6時間(途中姫路城、白川郷をちらっと見ていく)。そしてテントで2泊し、午前中に降りてきてまた姫路泊だ。本当は山梨の実家に寄りたかったが、コロナで帰省すると田舎はヒステリックに反応するかも知れないので、親にも提案されて行かないことに。もし行けたら、帰りの一泊は尾道にしようと思っていた。

僕の仕事が4日で一段落し、子供たちの終業式も4日なので、5日から出かけようと宿の予約を始めていったが、長崎は9日が登校日になるので、やはり10日から行くことに。梅雨明けの安定した天気を求めて早めの日程を組んだが、5日発でどうだったのかは分からない。(今確認すると、7日の室堂は雨https://www.youtube.com/watch?v=17T5VI_UTBw、8日、9日も似た感じ。)

旅行準備は、去年の荷物リストを参考にした。3人で行くのでザックを1つ追加し、登山靴は3人分を購入する必要がある。子供たちの登山靴は申し訳ないけど安物(ヒマラヤのPB?3000円くらいの)、僕はCaravanの初心者向けだけどゴアテックスの15000円(今後も登り続けるとも思えないので、高級品は避けた)。あと子供たちにはややまともなレインコート(ミズノの1万円ほどの、さらさらした着心地のもの、ただしスパッツは買わず)。レインコートは山で防寒着としても使えるし、日常でも春などにウィンドブレーカーにして良い)。あと、サーマレストを1つ追加し、寝袋も1つ追加した。買い出しには子供たちと3回くらい行った。コロナが増え続ける時期だったので、直前まで行かないことも考慮したかったので、靴やザックの購入は出発の2〜3日前だった。

去年は小2の息子と、1〜2人用テントで狭い思いをしたので、今年は2〜3人用テント(ダンロップ)とし、娘たちにもある程度荷物を持ってもらう(去年の息子用ザックには、ヘルメットとシュラフしか入っていなかったが、それでも息子はほとんど背負わず、僕が抱えて行くことになった(軽かったのが助かった)。)夕食はアルファ米フリーズドライ、朝食はパン、昼食はラーメンだ。ガスは、今回は飛行機に乗らないのでガス缶を持っていけるが、軽いのでカセットコンロ用ガスカートリッジが使えるタイプで行く。

9日の登校日を終え、僕も仕事の処理を終え、10日から出る準備は万端。ところが、台風や熱帯低気圧も生まれ、長崎は風も強い。高速での天気も悪そうだ。そんな不安材料も出てきたせいか、それとも半沢直樹を見たせいか、興奮してなかなか寝付けず、かなり寝不足な状態ででかけることに。

10日は8時発。中古CDで子供たちも好きになりそうな、YUKIいきものがかり宇多田ヒカル山崎まさよし(ほんとはスピッツが良かった)を買って聞きながら行く。僕はアクセルを踏み続けていると、たまに足がつる(危険)ので、2時間に一回の休憩を目処に、クルーズコントロール(速度を一定にしてくれるだけ)を多用しながら行く。出発の前日にガソリンとタイヤの空気を入れてもらったとき、やっぱりというか、ガソリンスタンドの人に「タイヤにひびが入っている。溝にも入っているので、中のワイヤが錆びてバーストするかも」なんて言われ、本当はこの旅行後に替えたかったのだが、不安を抱えながら長時間運転するのもいやなので、思い切って替えることに(替えておいて本当によかった)。山口あたりのSAで昼食、18時には姫路に付き、姫路城を一周してからホテルへ。子供たちは道中ほとんど寝ていてくれる。たまに話をする。トリプルベッドの部屋があるダイワロイネットに泊まる。夕食はどこで食べるか悩んだが、ホテル南の飲み屋街にあった定食もある焼き鳥屋(鶏一)で親子丼やらつくねハンバーグやら、焼き鳥やら、ビールやらをいただく。

ホテルに帰って、ネットで天気を見ると、予報が悪化していることに衝撃を受ける。富山が雨予報に変わっている。台風と熱帯低気圧も3つになってる。そいつらの動き次第で天気もかわるだろう(良い方に)と期待して寝ることにしたが、クーラーが寒すぎないか、切ったら暑すぎないか心配で、案の定眠りは浅い・・・。

f:id:U_S_K:20200817120520p:plain

登山は12〜14日

11日は姫路から富山まで。大阪、京都、愛知を経由していくので、混んでて疲れそうだ。それでも運転は6時間ほどなので、昨日より楽だろう。大阪の混雑は新名神を使うことで回避できた。京都南インターは降りる車で渋滞、琵琶湖沿いは長いが、米原から一宮JCTまでは短かかった。一宮あたりでとてもメランコリックになる。そのあたりは自分の生まれ育った場所で、子供たちのこと、自分のこと、親のこと、妻のことなど考えると、情緒不安定になった。

岐阜を超えると車も空くので楽になる。やはり関西は乱暴な車が多い気がする。寝不足のせいか、お昼ご飯はまともに食べられず、前日も昼食を食べたら猛烈な睡魔が襲ってきたので、すかさずSAで10〜15分仮眠を取るのだが、それもあってこの日の昼は、岐阜のSAで五平餅と団子になった。なんとか白川郷に2時に着く。川に足を浸け、1時間ほど散策し、ソフトクリームも食べ、一路立山へ。車の中で寝続ける子供たちが不憫で、これは帰りの車中のためにも本を買うのが良いだろうと、富山市内の本屋に寄るために、市内を横断する形で走れるように高速を降りる。4冊ほどの本を選ばせると、今家でブームの鬼滅の刃の小説になった。店から出ると夕立が猛烈で、1時間ほどかけて立山ケーブルカー駅の前にあるホテル立山館へ。この道は去年息子と通った、去年は富山市内に泊まって朝にます寿司を買ってケーブルカー駅に向かったので、駐車場が開いているか心配しながら走った(ちゃんと登れるかも心配だった)とか感じながら進む(去年はほぼ通過しただけだったが、今年の旅行では、この富山市内と立山駅をむすぶ道を何回も通り、店に入ったりして馴染むことになる)。

ホテルに着いてチェックイン。駐車場は登山者向けの駐車場に夕方のうちに移動することを勧められる(夜中に走ってきた登山者により、朝にはもう埋まるらしい。夕方が空きがある時間帯とのこと)。Wi-Fiは部屋まで電波が届かずロビーで使うことに。ここで立山の天気 | てんきとくらす [天気と生活情報]を見て、やはり翌日は悪天らしいことを確認する。夕食は地元のタケノコや白エビ、牛肉、ゼンマイ、ワラビなど、手の込んだ料理を出してもらうが、僕は疲れと天気のことで頭がいっぱいで朦朧としながら食べる。夕食後に3人で会議をし、3つの案を提案する。第一案が、第二案が「八ヶ岳の白駒の池でキャンプをする」というもので、長野の方が天気が良いらしく、白駒の池なら駐車場からも近いので撤収も楽であることからひねり出した案。翌日に八ヶ岳に向かい、テントで2泊するか、1泊は小淵沢の実家にむりやり泊まることも不可能では無い。白駒池周辺の針葉樹林でのテント泊を体験できるが、3000mクラスを体験することはできない。第三案が「翌日(水曜日)はのんびり過ごし、天気が良くなりそうな金曜日の午前中に立山近辺を登山(大日方面か、室堂山方面)するために、その前日(木曜日)に山に入る」というもの。一泊くらいなら雨でも耐えられるだろうこと、やはり室堂(雷鳥沢)でのテントは山らしいこと、剱や立山の山容を見せられることなどがある。問題は宿泊で、富山市内で10000円ほどのホテルに泊まる、車中泊などが考えられる。会議の結果は、第三案。翌日はのんびりし、その後立山を目指すというものになった。宿泊は車中泊で行こうということになった。

f:id:U_S_K:20200817120702p:plain

登山は12〜14日

12日は駅は曇りだが山の上は悪い天気。夜の間も強い雨だった。しかし気持ちよく寝た。宿の人に、今日の山は諦めたと伝え、博物館(立山博物館、カルデラ博物館、埋没林・蜃気楼博物館)や称名滝を勧められる。そして朝食後に朝風呂に入る。寝心地が良く、一日のんびりできるという心理が手伝って、もう一泊ここに泊まって鋭気を養うべきという考えになり、延泊を申し込み、夕食は山用のご飯を食べることにし、朝食のみをお願いすることに。「車を運転したくない」と子供たちには言ってたくせに、いざ一日空くとなるとじっとしておれず、テレビでよく見る「おわら風の盆」の八尾が近いと分かり、がぜん行きたくなる。

 

f:id:U_S_K:20200817160353p:plain

立山駅→おわら資料館

10時頃に宿を出て、称名滝(駐車場まで車で15分、歩行往復1時間)に行き、ドライブインでます寿司を買い(12時に届くのを待って並を2箱買ったのだが、どうも並の1つは「特製」だったんじゃないかと、食べ比べても、色合いを見ても感じるものだった)、車中で食べて、風の盆資料館へ。自分が見たい部分もあるが、子供たちにも不思議な雰囲気のこの踊りを見てもらいたくて、こんな機会が得られたことが信じられない。出かける前に、開館していることと映像が見られることを電話で確認しておいた。八尾がカイコの孵化幼虫を各地に売ることで栄えた街であること、5月の山車も伝統であること、「おわら」とは語源に諸説あること、そして踊りは明治期に東京の日本舞踊家が振り付け、曲に胡弓を取り入れ、歌詞も様々に生まれ変わるなど、伝統と革新、ある意味、商業主義、興行主義、地域おこしの先駆けのようなものであったことを知る。子供たちも踊りには興味を持ったようだ。鬼滅でも和風の文化に興味を感じているようだし、良い刺激になったかも知れない。その後は埋没林博物館に行くことも考えていたが、魚津まではそこそこ遠いことと、のんびりを重視することとし、和紙の体験館のようなとこを覗くと喫茶店もあるのでそこに寄っていくことに。和紙のお土産は、うちわやオルゴール、風の盆3Dペーパークラフト(?)が魅力的だが買わず、喫茶店だけ楽しむことに。グリーンティーとミルク、白玉団子をいただく。

夕方に宿に戻り、夕食はアルファ米とカレー、親子丼、牛丼のフリーズドライ、さんま煮。夜に天気を確認し、大丈夫そうだと子供に報告する。ケーブルカーのチケット販売が6時からなので、5時半に起きて買いに行ってくると、子供たちに予定を告げて寝る。

f:id:U_S_K:20200817121255p:plain

13日に入山し、14日午前の晴天に賭ける

よく寝られたのか分からないが、とにかく5時前に目が覚め、5時20分には駅に並ぶことに。すでに50人ほどがいた。宿から寝間着のステテコで来た僕は、ここでブユに襲われるという予想外の展開に。虫に刺されやすい体質で、カに集中砲火を浴びるのも日常だが、ブユも大量に寄ってくる。40分ほどの間に10カ所は刺されてしまった。翌日、翌々日と腫れがひどくなり、長崎に帰ってからも苦しめられている。単に長ズボンをはくべきだった。(追記:9月10日になってもまだ痒い)

7時半すぎのケーブルカーに乗りたいと窓口で伝えると、7:40のチケットをくれた。定員もきまっているので、30分頃に来て並ばずに乗ることにする。宿に帰って朝食を食べ終えると、なんと雨が降ってくる。予想も悪くなっている。まぁしかしもう予定は変えられなくて、とりあえず室堂に上がり、夕方までにはテント場に着ければいいだろうと腹を決める。車においていく荷物を車に詰め込み、歯ブラシやステテコなど、山にも持って行くものをザックに詰め、登山用のシャツを着て、登山靴を履き、駅に向かう。ケーブルカーの車内は去年の半分か。荷物も客車に持ち込む。座れはしなかったが、空いていて快適だ。驚いたのはバスで、なんだかんだで座席は埋まるだろうと思っていたら、半分ほどが空いている。贅沢・・・。雨ながらも、称名滝や○○杉、快晴の状態をビデオで見ながら、真っ白な窓の外と見比べる。子供たちは10分ほどしたら爆睡。

9時前に室堂ターミナルに着いたが、雨は降り続く。ターミナルのモニターの天気予想もしばらく雨は続くようだ。休憩所のベンチでのんびり回復を待つことにする。10時頃に登山者同士の話を盗み聞きしていると、もうすぐ雨雲は切れると言っている。子供たちはお土産もそう興味ないようで、じゃんけんなどして遊んでいる。11時になりパンを食べ、退屈なのでちょっとテント場を目指してみるかと子供たちを誘う。子供たちの靴はゴアでもなく「Water resistance」と書いてあるただの撥水加工がされた靴。肌まで水がしみてくると気持ち悪いだろうから、靴下の上にビニール袋をかぶせて靴を履くことを勧める。雨は降ったりやんだり、激しくなったりを繰り返すが、装備を固め、雨の中を歩き出す。

f:id:U_S_K:20200813121656j:plain

あっという間にミクリが池を過ぎる(当然見晴らしが良いはずも無く、呆然と立ち尽くす二人の後ろ姿があるのみ)。人が少なく(ほとんどおらず)歩きやすい。地獄の硫黄臭は去年よりましだ。雷鳥沢までは下りの方が多いので、雨で濡れた石で滑らないように注意すれば、それほど疲れるものではない。テント場も見えない霧の中を、子供たちに先に行ってもらったりしながら、血の池地獄を通り過ぎ(色も見えない)、黙々と進みテント場に到着する。

雨はほぼやんでいる。子供たちにフライシートを持ち上げてもらい、その下でテントを広げる予定だったが、その必要も無いくらい。僕ともう一人の寝袋がちょっと濡れていて焦るが、テントの上で乾かすことができた。コーヒーと紅茶を飲み、子供たちは昼寝し、ラーメンを食べ、散歩し写真を撮り、晩ご飯。立山の上の方は霧が晴れないが、大日方面やカールの緑はきれいに見えるようになった。

両脇のテントは、歌を流す人といびきをかく人で、今後は張る場所選びも慎重にしなければいけないと思った(今回はテーブルそばを選んで、それはそれで良かったのだが、通路にもなり、夜中にライトの光がテントに当たってまぶしかった)。テントの設営(ペグの打ち込みなど)は下の子の方が積極的にやってくれる。下の子も指を潰さないか心配だったが、上の子たちはもっと心配だ。

夜には星も見た。去年よりもたくさんの星が出ていた。寝袋に戻った後も流れ星に歓声が上がるとまた見に出たくなるが、もう寒くて、子供たちにもおすすめしなかった。むしろここでもうちょっと着込んで、星も見て、暖かくして寝袋に入れば良かったのかも知れない。子供たちがどれくらい寝られたか分からないが、僕は寒さとライトと声や音で何度も目が覚めた。とにかく天気が持ち直し、きっと明日も良い天気だろう。そして散策をして、僕は姫路まで運転しなければならないのだ。

翌朝の状態は、まずかなり眠いということ。しかし良い天気だと言うこと。アラームが鳴った5時に活動開始。朝食はフリーズドライの卵スープ。6時に出発し、子供用のザックに非常食や薬、水などを入れ、コンロも持たずに出る。大日小屋方面に進み、行けるとこまで、1時間半ほど進み、折り返して3時間で戻ることとする。去年下の子と到達した中腹を越え、尾根に出て、さらに西へ進み、剱の霧が晴れてよく見えるところまで行く。ポールは僕が使わせてもらい助かる。子供たちには邪魔に感じられるのかも知れない。コロナで登山者もみんなマスクをしている。挨拶も控えめだが、それでも声を掛け合うので、その文化も子供たちには感じてもらえただろう。折り返し点で晴れた剱を眺め、行動食を食べ、立山雷鳥沢、地獄、アルペンルートなどを眺めながら戻る。僕の後ろ姿を写真に撮ってくれていたりして、余り見られない自分の姿が新鮮だった。

f:id:U_S_K:20200814083948j:plain

9時に戻り、10時までに撤収。フル装備(なぜか荷物が減っていない)で晴天の中を室堂まで戻るのは今回一番キツい行程だった。11時には室堂に付き11:40のバスに乗れることに。お土産のお菓子を買って、お昼ご飯としてます寿司の個包装を3個買って、バスに乗り込む。財布を帽子でくるんで落とさないようにと思っていたが、車内で眠ったときにボタっという音がして、てっきり他の人が何か落としたのだろうと思っていたが、バスからケーブルカーに移り、下の駅まで来たときに財布が無いことに気づく。バスが財布を乗せたまま室堂に戻って、それが駅まで着くのは何時だ・・・とか考えてぞっとしたが、睡眠不足を補う休憩時間にすればいいやと思い直し、とりあえず駅員さんに相談する。最初の電話でのバス会社とのやりとりでは「財布は見つかっていない」ということだったが、数分後に携帯に電話が来て、財布は見つかっていて10分後には駅に着くとのことだった。1時10分には手元に戻ってきてくれた。

立山とはお別れし、前日にます寿司2箱を買ったドライブインでソフトクリームを食べる。今日は僕の分も買う。子供たちはイチゴのミックス、僕はマンゴーのミックス。すごくおいしかった。去年は息子と室堂に向かう途中の山小屋でかき氷を食べたが、今年は姫路まで帰るのでバスに乗ることを優先したのだった。その後子供たちは読むのを我慢しておいた残りの本に集中し、僕は運転に集中し、富山、石川、福井、京都(舞鶴)を通り兵庫のSAで夕食。9時から10時と思っていたホテル到着は、9時前に前倒しになり、ホテルに入る前に缶ビールを買い、ようやくここで僕はぐっすり寝ることができた。それでも翌日は、昼過ぎから夕方にかけて度々睡魔が襲ってきて、15分ほどの仮眠を2度も取る。昼食は宮島SAでお好み焼き。6時には家に着いて久しぶりの家ご飯。

f:id:U_S_K:20200817160452p:plain

f:id:U_S_K:20200817160505p:plain

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

 去年は一人、今年は二人を連れて行ったが、年齢があがっても人数が増えるとやはり健康状態の心配は増える。コロナとは無関係に、風邪を引いたり、お腹を壊したりしないか、心配が二倍になる。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

二人の子供たちは、中一の双子だ。いろいろあるのか最近は元気がないように感じる。子供の頃から、いろいろな経験をさせ、自由を謳歌し、自分の意見を言える子に育てたかったが、そうも行かなかったようだ。どちらかと言うとおとなしく、引っ込み思案で、心配性で、他人の目が気になる。この旅行で、父親が初対面の人とどう会話し、どう主張し、どう交渉するのかを、僕なりの方法で示したかったのだが、コロナで会話がはばかられるという予想外の展開だった(それでもちょこちょこ会話はした)。双子ということで、常にもう一人と一緒に居ることも、性格形成に大きな影響を与えたと思う。一人一人としてどれだけ自立しているのか不明だ。今回の旅行で心の成長を確認したいと思ったが、まだ打てば響くようなものではなかった。今はまだ成長過程にあるのだろう。あとは自力でなりたい自分になってもらうしか無いだろう。

ーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーーー

眠りが浅い中年は、登山中もやはり眠りは浅いまま。気をつけよう。立山駅のブユにも。