九州一周(鬼滅ラッピングトレイン&AR)旅行

JR九州が、夏から「域内の特急乗り放題2日で1万円」という切符を売り出している。すごいのは子供が2000円だということ。なので夏に旅行できなかった息子(小三)と二人旅に出ることに。

 

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土曜(10/3)の夜から、ネットの乗り継ぎ検索と、紙の時刻表を駆使し、日曜朝に特急指定席の空き具合を調べてから乗り放題切符を予約し、JR長崎駅へ(特急の予約は駅の券売機か窓口で無いとできない)。指定席を取りながら、乗り放題切符も発券してもらう。

 

【1日目】長崎—(かもめ)→博多—(ソニック)→大分—(にちりん)→宮崎(青島まで行き「海幸山崎」で帰ってくる)—(きりしま)→都城

 都城泊は、息子の希望。鹿児島まで行くと19時を過ぎるので、どうするか相談した結果、理由は分からないが都城で泊まりたいと言う。宮崎のホテルを応援する意味でも良い選択のはず。僕も初めて行く(というか宮崎県は、鹿児島に行く際の通過を除けば15年前の延岡泊以来の2回目)。

【2日目】都城—(きりしま)→鹿児島中央—(さくら)→熊本(「A列車で行こう」で三角を往復)—(つばめ)→博多—(ゆふいんの森)→日田ー(普通)→鳥栖—(かもめ)→長崎

一番の目玉は「ゆふいんの森」か。指宿の砂蒸し風呂にも行きたかったけど、息子が「海幸山幸っておもしろい名前」ということでそちらに。これらの特急は本数が少なくて組み込むのが難しい!あそぼーいは一週間前でも満席で除外。あと「かもめ」は白でなくて黒が良いという二人の共通意見も取り入れてある。A列車はたまたま組み込めた。三角での待ち時間がすくないのが良い。

 ちょうど「鬼滅の刃」とJR九州とのコラボがはじまり、ラッピングトレインや、デジタルフォトフレームなどを、可能な範囲で楽しむように考慮した(つまり、初っぱなの「かもめ」は佐賀でラッピングトレインに乗り換えるようにした結果、海幸山幸での乗車時間が短くなった)。

そんな予約を取った翌日、台風が発生・・・。夏休みの旅行も出発直後から天気予報が悪化。9月の出張も台風9・10号の隙間にぶちあたり、3泊の予定が1泊しかできず、またこれか・・・。きっと今年の天気は僕が悪くしている・・・。

水曜日になり、ようやく予報が少しましになり、宮崎から離れる予報になった。天気も、土曜日が嵐マークだったのが、普通の雨マークに(宮崎と鹿児島)。

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↓旅行前日には無事逸れるという予報に(旅行は10〜11日)。

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今年は悪天の予報を引き寄せているが、なんだかんだで回避できてるのも事実。

 

10月10日(土)

前日もなかなか寝なかった息子だが、当日の朝は5時頃に、元気な状態で起きてきた。楽しみで目が覚めたとのこと。いつものように不機嫌に起きてくるより10倍良い。実は僕も、旅程がうまく進むか心配なためか、3時頃に目が覚めて、うとうとしていた状態だった。

ふたりとも早起き(6時頃には布団から出た)したので、おにぎりを作って車で食べるという予定を変更し、家で食べて出かけることに。6時50分出発で7時45分のかもめに乗る。

諫早駅の駐車場に駐め、諫早駅で最初の「鬼滅AR」をする。ポスターで読み取り「無一郎」が出てきて嬉しいのだが、小さいし、画面の下の方だし、一緒に撮るのも難しい。もうちょっと工夫があると良い。

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最初の(そして最大で、かつ最後と言っても良い)難関は、このかもめで起こった。諫早駅を出てしばらくすると停車し、多良駅で点検のため信号待ちと言う。佐賀駅でラッピングトレインに乗りかえるための待ち時間は15分しかなく、その15分がこの停車によって失われてしまった。もうラッピングに乗ることはあきらめたほうが良い、博多駅で追いついたら写真が撮れるよと息子に言い聞かせる。息子は「乗りたかった」とこぼすが、仕方ない。もし博多駅で大分行きの列車に乗り遅れたら、今日の予定は1つ目の電車で全て狂わされることになる、という点で最大の難関と言える。その場合は、海幸山幸をあきらめ、なんとか都城で泊まることを目標としなければならない。

ところが佐賀駅に着くとラッピングトレインが待っており、念のため下りる準備をしていたのですぐに飛び出す。車掌さんによると出発までの時間は3分あり、とりあえず炭次郎、ネズコを撮る。家からおもちゃの刀を持ってきており、ノリノリの息子。車内でもARをする(あいかわらず力不足な画像・・・)。それでも思いがけず電車が待っていて、予定通りに進んだ充足感に包まれる。JRとしては、電車の順番を変えない方が、順番を変えて一部の電車を時間通りに動かすより都合が良いのだろうか。まさか長崎から来るラッピングトレイン目当てのかもめ乗客を待っていたわけでは無いだろうが(長崎発かもめも博多まで行くので、佐賀で別のかもめに乗り換える客も居ないはず)。

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鳥栖駅には風柱のARがいるが、停車のみなので駅のポスターを撮りに行く時間が無い。そこで前日に考えついた方法が、ポスターの画像を印刷して持って行き、それを駅でスキャンすればARができるのではないかと言うこと。その方法はずばり的中し(つまりポスターは駅ごとに同一で、場所情報(GPS)が変わることで現れる画像も変わるということ)、無事車両内で風柱と撮影成功。

博多駅は6分遅れで着いた。もともとのんびり駅弁を買う時間も無いなと思っていたところに痛い遅れだが、残りのキャラのラッピングとも撮影を終え、改札を出たところにあると記憶している駅弁ブースに飛び込み、東筑軒のかしわめし弁当と、悩む息子にはシュウマイ(ご飯無し)を提案し、二人で分け合うことに。かしわめしは折尾のホームで買いたかったが、停車のみなのであきらめたのだった。

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 博多からはソニックで大分へ。箱崎には「煉獄さん」のARがあるが、高速で通過したためできず、折尾、遠賀川と過ぎていく。小倉では進行方向が変わる理由を話し、別府駅では息子の好きな「いのすけ」と撮影。大分でホームの向かいに待っている「にちりん」に乗り換え。

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宮崎までの3時間が、この旅で一番長い乗車継続時間。僕はちょっと眠り、息子は「トムソーヤの冒険」や「風の谷のナウシカ」などを読んでいる。佐伯、延岡(県境の秘境駅には観光客か、ちらほら人がいた)を通過し、日南海岸は結構白波が立っている。息子がいらいらしないか心配だったが、JTBの全路線ブックに道のりをマークしたりして過ごし、無事に宮崎に到着。宮崎(僕も初)は駅を出てみたが何も無く、おやつにじゃかりことコーヒーを買い、普通電車で青島に向かう。そこで「海幸山幸」を待つ間、海岸に出て、この旅行で唯一の観光めいたことをする(この旅行でもっとも家から遠い地点でもある)。息子にはコーヒー牛乳を買う(じゃがりこと一緒に買えば良かった)。

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青島は30分ほどの滞在時間なので、観光もあっという間に切り上げ、駅で列車を待つ。もう夕日の時刻だ。この旅で初めての観光列車。外装も車内も木が使われて、息子は日よけも木でできていることに気づいて驚いている(いろいろ自分で見つけて感動ようになった)。乗車記念のプレートを持って撮影してくれたり、販売カウンターでお土産を買ったり(九州の観光列車がつながったストラップ1300円!)、大勢のCAさんも優しくて、息子が鬼滅のバッジをしているのに気付いて話しかけてくれたり、ラッピングトレインの話を振ってくれたり。でも息子はちょっと話すのを恥ずかしく感じるようになったようで、「ゆふいんの森」でスタンプ用の台紙が無くなっていることをCAさんにつたえるのも「パパがして」と言うようになった。

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短い距離ながら30分ほどの時間をかけて宮崎に到着し、夕焼けを見ながら(息子は撮影しながら)「きりしま」にて都城へ。18時半に到着。都城のARは特殊で、ポスターの横に「鬼」の字のようなマークがあり、それをスキャンしろと出てくる。最初はそれがうまくいかず(息子が言うにはもっとアップにしなければいけないとのこと)、駅員さんに相談して成功(しのぶさん)。

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宿泊は歩いて5分の都城グリーンホテル。大きなお風呂があるからそこを選んだ、と息子に伝えると、他には?と聞いてくるので、駅が近い、線路が見える、安い、など、追加報告させられる。いろんなことを聞いてくるようになった。荷物を置いて19時に食事に出かける。旅行前に調べておいた、チキン南蛮が食べられる飲み屋(駅とホテルの間)に行く。僕はビール、息子はコーラ、チキン南蛮、サラダ、がね(野菜のかき揚げ風)、串3本(息子が肉を食べたいと言う)、で二人ではお腹いっぱいに(あたりまえか)。ちょっと残してしまった。

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ホテルへの帰りにコンビニに寄って朝食のパンと牛乳を買い、ホテルの風呂に入り、9時から鬼滅を2時間見て、寝る。

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10月11日(日)

翌朝は7時に起きて8:06の電車に乗ろうと相談していたが、朝風呂に入る予定を組み込み忘れていて、6時半に呼びかけて浸かりに。予定通り7:40にはチェックアウトし、駅でもういちどARをして、きりしまに乗る。今回の切符は6回だけ指定席が取れるので、始発の電車は指定席を取らず、最初と最後のかもめも念のため指定を取ったので、このきりしまだけは「始発で無いのに指定席を取っていない」唯一の区間。でもやっぱり大丈夫だった。鹿児島に向かう。息子は座席を回転させられることを学び、自由席では積極的にボックスシートを作り、悠々と過ごす。静かに回転させるペダルの使い方も自分で発見していた。

霧島神宮では「義勇さん」のARだが、都城のようにポスターでうまくいくかは不明なので、都城で「鬼」マークをデジカメで撮影しておき、そちらをスキャンして義勇さんを召喚。息子は、たんじろう、伊之助、義勇さんが好きなキャラらしい。朝6時の電車に乗って霧島神宮で下りられるようにすることも考えたが、体力的にも無理だったので、車内でARができて良かった。

錦江湾の向こうの桜島を眺めながら鹿児島中央に到着。ここの乗り換えは9分なので、スムーズというか、ぎりぎりと言うか、でも歩いて余裕で間に合う。熊本までは「さくら」。「川内」の読み方や、お土産を買う駅などを話しながら過ごす。二日目の空き時間は、次の熊本駅での15分と、三角から帰ってきたときの40分、その後の博多で60分である。博多では箱崎往復も可能だが、息子もしなくて良いと言うので、次の15分で下見をし、その次の40分で気に入った物を買い、博多の60分は予備にとっておくことに。僕からは海幸山幸でストラップを買ってやったので、後は自分のお金で買うことにしてもらう。ナノブロックや、ペーパークラフト、キーホルダーなどを見る。

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A列車は一番混んでいた車両。乗客のほとんどが大人。カウンターでハイボールを注文する人も多く、大人向けの電車なんだな。でも黒と金の外装、車内もシックで、子供がどう感じるかは不明だが、悪い影響は無いだろう。三角のARは「ぜんいつ」で、金髪がA列車の外装と合っていた。三角ですぐに折り返すので、ほぼ同じ人数が戻るのだろうと思っていたが、結構人は減っていた。僕にとっては夕日のオコシキ海岸の干潟はあこがれだけど、時間的にその風景が見られるわけでも無く、「ここがかぁ」という感じで通り過ぎる。線路に迫る緑が午前の光をあびてきれいだった。息子も先頭車両で動画を撮り続けるなどしていた。

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熊本駅で、息子は自分のお土産は決めきれず、家族用にスイートポテトを買う(おしり探偵の好物だとか)。ここでGotoトラベルのクーポンを使いたかったのだが、iPadが「未対応の端末」だとか言われて使えず、どういうこと!?しょうもないな。今回はARとクーポンのために、iPadとレンタルのモバイルルーターを持ってきたが、レンタル代の一部が回収できなかった・・・。

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熊本から博多までは九州新幹線「つばめ」これも熊本始発で時間も昼頃なので、自由席でもガラガラ。肉を食べたいという息子に赤牛の駅弁を買い、出発前に食べ始める。2度目の鳥栖を通過する。


博多ではおみやげとおやつ買いだしに時間を使う。博多口そばの鉄道グッズコーナーが目当てだったが、その手前(改札寄り)で見た鬼滅のキーホルダー(孤立注意や一旦停止などの交通標識パロディで面白かったが値段が高い)を見たりして、博多口そばでガチャガチャをすることに。くまモンのスタンプで罫線が描けるものに惹かれてしたのだが、コミュニケーションツールをほしがるようになるとは、やはり昔とは違う(むかしはただおもちゃをほしがった)。

f:id:U_S_K:20201011135615j:plainその後、駅前の広場で息子が家族にメールをしてから、「ゆふいんの森」の時間もせまってきたので、博多土産のお菓子を単品で2種類買い、コーヒーとコーヒー牛乳を買い込み、ホームへ。やっぱり今回のメインはゆふいんの森だなー。かなり昔の車両で、出た頃はカッコイイとはあまり感じなかったが、お互いに年季が入ったためか魅力を感じるようになった。

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到着後掃除があり、乗り込めるのは出発の1分前。ハイデッカーで、ドアから入るとすぐに階段がある。適当に取ってもらった指定席は1号車で先頭車両。パノラマカーになっていて良い。テーブルが前の席の背もたれと、シートの肘掛けの両方にあるので、二人で4枚も使える。お菓子を食べたり、うろうろしたり、どれかの車内で検討した(たぶんつばめ)お土産の「ゆふいんの森マグネット310円」を買ったり、博多日田の1時間20分を満喫した。筑後川が洪水になった話をしたり。

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日田には今回最後のAR「ねずこ」がいる。駅前のモニュメントを活用して撮影。もう日が傾く頃に長崎への帰途に着く。まず普通電車で久留米まで1時間。乗り換えて鳥栖まで6分。そこからかもめ(お気に入りの黒)で諫早まで帰る。さすがに息子も飽きてきているだろうと、久留米までの車内ではYoutubeを見ることを許す。僕ものんびり過ごしたい。田主丸のカッパの駅舎は見逃した。息子が見ていたマインクラフトの動画に出てくる亀のキャラが「ゆふいんの森に似てるね」と話しながら過ごす。

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最後のかもめにも無事乗る。夕食はガストで食べて帰ることにする。息子は帰りたくないと言っている。昨日に戻りたいと。息子との泊まりがけの二人旅は、去年の登山に続いて二度目だろう。この歳では母親から離れるのはやはり不安だろうし、どう感じているのかは本当のところは分からないが、今回は泣き出すようなことは無かった(去年はテントの中で泣いた)。

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旅行に出るのはちょっと不安もあったりする。僕なんかは大学時代でも一人で旅行に出るときには心細さを感じたものだ。息子は旅行が好きと言っているし、今回も楽しんだようだ。逆に家に帰ることに寂しさを感じているようだ(日常に戻るのがつらい気持ちはこちらも同じ)。家でのんびりすごせば、こんな寂しさや喪失感も無いだろうけど、楽しいことをすれば、それが終わることに寂しさを感じる。どっちが良いかな、というような話をして諫早駅に到着した。車内でレンタルルーターの荷造りなどもした。

車でガストの位置を検索し、混んでなかなか料理が運ばれて来ないのに疲れ、それでも9時前に家に着く。最近は日曜に買っている鬼滅マンガは月曜日に買うことにして、今日は早く寝るように進めたのだが、やはり10時頃まで起きていたようだ。翌朝は二人ともまだ疲れていた。まだ電車に乗っているような感じだった。

今回の旅行で息子の成長を感じられた。家に居るととにかく母親や姉に甘えたくて怒られてばかり居るので気付かない。感心したのは以下の点。

 

・長時間の乗車でも、読書したり、写真を撮ったり、散歩したりして気を紛らわす。

・意見、質問、感想など、自分らしい視点で述べることができる。

iPadやデジカメ、カーナビの機能を貪欲に探求し、父親を凌駕する部分もある(カメラの設定を変えられるのは困るが)。

・家族と自分へのお土産を、自分の管理している予算内で考えながら購入する。

・車両の設備、案内表示、はじめての土地の情報を積極的に入手しようとする好奇心。

・知らない人に声をかける時、もしくはかけられた時の恥ずかしさの芽生え。

・刀を振り回す子供らしさ。

・車内で大きな音を立てないように一度注意したら、その後は配慮できた。

・川、海、夕焼けなど、風景への関心。

 

気を揉んだ台風は迷走して消滅するようだ。

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2020立山旅行

コロナ禍で夏休みも短く、気軽に羽を伸ばすこともできないので気が滅入る。しかし、コロナはいつまでも居座り続けるので、今我慢すればよくなるというものでも無い。つまり、コロナに気をつけながら活動を再開する必要があるということだ。閉じこもっていればいいわけでは無い。いまの自分の認識では、コロナはクラスター性が強い。つまり感染者との密接な会話を通したウイルスの体内(肺)侵入がメインかつほぼすべての感染ルートだと思っている。手などを経由して鼻、口から入るのはそれほど多くないと考えている(風邪では鼻を触ることが感染ルートになるようだが)。まぁ極力マスクして、感染者に飛沫を浴びせられるのを回避すること、消毒液を見かけたら消毒すること、そして自分の感染が疑われたら即座に対処すること(保健所への連絡か安静・面会謝絶か)を怠らないことで、あとは普通に活動するしかない。冬にはまた高齢者への感染が増え、重症化も増える。症状が軽くても後遺症(血管の硬化が原因の、心筋症、だるさ、脱毛など)が起こるようだ。免疫ができるのかも分からない。積極的に感染する必要は無いが、閉じこもっていても、バーチャルで解決しようとしても、いつまでも続けられるわけでは無く、必要な活動は再開すべきだ。

というわけでどこに出かけるかというと、去年に続き立山だ。今年は上の子二人(中一女子)と行くことにする。上の子たちも中学生になり、あまり口も聞かなくなった。無理して話をしようとも思わない。自分の考えが揺れ動き、親とまともに会話できない時期はだれにもあるだろう。だから最後の旅行として、僕が子供時代から毎年出かけ、考え方に大きな影響を与えたように思える登山というものを、上の子たちにも体験しておいてもらいたいと思った。好きになるか嫌いになるかはどちらでもよく、そういう世界があるということを知ってもらえば良い。

子供たちには毎年のように旅行に連れて行った。自然のすばらしさという点では、石垣島珊瑚礁も見せた。もう一つあるとすれば3000mクラスの山岳地帯だろう。どうやって三密を避けていくかと言うと、自家用車で高速利用だ。長崎から姫路まで8時間走って一泊し、翌日姫路から富山まで6時間(途中姫路城、白川郷をちらっと見ていく)。そしてテントで2泊し、午前中に降りてきてまた姫路泊だ。本当は山梨の実家に寄りたかったが、コロナで帰省すると田舎はヒステリックに反応するかも知れないので、親にも提案されて行かないことに。もし行けたら、帰りの一泊は尾道にしようと思っていた。

僕の仕事が4日で一段落し、子供たちの終業式も4日なので、5日から出かけようと宿の予約を始めていったが、長崎は9日が登校日になるので、やはり10日から行くことに。梅雨明けの安定した天気を求めて早めの日程を組んだが、5日発でどうだったのかは分からない。(今確認すると、7日の室堂は雨https://www.youtube.com/watch?v=17T5VI_UTBw、8日、9日も似た感じ。)

旅行準備は、去年の荷物リストを参考にした。3人で行くのでザックを1つ追加し、登山靴は3人分を購入する必要がある。子供たちの登山靴は申し訳ないけど安物(ヒマラヤのPB?3000円くらいの)、僕はCaravanの初心者向けだけどゴアテックスの15000円(今後も登り続けるとも思えないので、高級品は避けた)。あと子供たちにはややまともなレインコート(ミズノの1万円ほどの、さらさらした着心地のもの、ただしスパッツは買わず)。レインコートは山で防寒着としても使えるし、日常でも春などにウィンドブレーカーにして良い)。あと、サーマレストを1つ追加し、寝袋も1つ追加した。買い出しには子供たちと3回くらい行った。コロナが増え続ける時期だったので、直前まで行かないことも考慮したかったので、靴やザックの購入は出発の2〜3日前だった。

去年は小2の息子と、1〜2人用テントで狭い思いをしたので、今年は2〜3人用テント(ダンロップ)とし、娘たちにもある程度荷物を持ってもらう(去年の息子用ザックには、ヘルメットとシュラフしか入っていなかったが、それでも息子はほとんど背負わず、僕が抱えて行くことになった(軽かったのが助かった)。)夕食はアルファ米フリーズドライ、朝食はパン、昼食はラーメンだ。ガスは、今回は飛行機に乗らないのでガス缶を持っていけるが、軽いのでカセットコンロ用ガスカートリッジが使えるタイプで行く。

9日の登校日を終え、僕も仕事の処理を終え、10日から出る準備は万端。ところが、台風や熱帯低気圧も生まれ、長崎は風も強い。高速での天気も悪そうだ。そんな不安材料も出てきたせいか、それとも半沢直樹を見たせいか、興奮してなかなか寝付けず、かなり寝不足な状態ででかけることに。

10日は8時発。中古CDで子供たちも好きになりそうな、YUKIいきものがかり宇多田ヒカル山崎まさよし(ほんとはスピッツが良かった)を買って聞きながら行く。僕はアクセルを踏み続けていると、たまに足がつる(危険)ので、2時間に一回の休憩を目処に、クルーズコントロール(速度を一定にしてくれるだけ)を多用しながら行く。出発の前日にガソリンとタイヤの空気を入れてもらったとき、やっぱりというか、ガソリンスタンドの人に「タイヤにひびが入っている。溝にも入っているので、中のワイヤが錆びてバーストするかも」なんて言われ、本当はこの旅行後に替えたかったのだが、不安を抱えながら長時間運転するのもいやなので、思い切って替えることに(替えておいて本当によかった)。山口あたりのSAで昼食、18時には姫路に付き、姫路城を一周してからホテルへ。子供たちは道中ほとんど寝ていてくれる。たまに話をする。トリプルベッドの部屋があるダイワロイネットに泊まる。夕食はどこで食べるか悩んだが、ホテル南の飲み屋街にあった定食もある焼き鳥屋(鶏一)で親子丼やらつくねハンバーグやら、焼き鳥やら、ビールやらをいただく。

ホテルに帰って、ネットで天気を見ると、予報が悪化していることに衝撃を受ける。富山が雨予報に変わっている。台風と熱帯低気圧も3つになってる。そいつらの動き次第で天気もかわるだろう(良い方に)と期待して寝ることにしたが、クーラーが寒すぎないか、切ったら暑すぎないか心配で、案の定眠りは浅い・・・。

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登山は12〜14日

11日は姫路から富山まで。大阪、京都、愛知を経由していくので、混んでて疲れそうだ。それでも運転は6時間ほどなので、昨日より楽だろう。大阪の混雑は新名神を使うことで回避できた。京都南インターは降りる車で渋滞、琵琶湖沿いは長いが、米原から一宮JCTまでは短かかった。一宮あたりでとてもメランコリックになる。そのあたりは自分の生まれ育った場所で、子供たちのこと、自分のこと、親のこと、妻のことなど考えると、情緒不安定になった。

岐阜を超えると車も空くので楽になる。やはり関西は乱暴な車が多い気がする。寝不足のせいか、お昼ご飯はまともに食べられず、前日も昼食を食べたら猛烈な睡魔が襲ってきたので、すかさずSAで10〜15分仮眠を取るのだが、それもあってこの日の昼は、岐阜のSAで五平餅と団子になった。なんとか白川郷に2時に着く。川に足を浸け、1時間ほど散策し、ソフトクリームも食べ、一路立山へ。車の中で寝続ける子供たちが不憫で、これは帰りの車中のためにも本を買うのが良いだろうと、富山市内の本屋に寄るために、市内を横断する形で走れるように高速を降りる。4冊ほどの本を選ばせると、今家でブームの鬼滅の刃の小説になった。店から出ると夕立が猛烈で、1時間ほどかけて立山ケーブルカー駅の前にあるホテル立山館へ。この道は去年息子と通った、去年は富山市内に泊まって朝にます寿司を買ってケーブルカー駅に向かったので、駐車場が開いているか心配しながら走った(ちゃんと登れるかも心配だった)とか感じながら進む(去年はほぼ通過しただけだったが、今年の旅行では、この富山市内と立山駅をむすぶ道を何回も通り、店に入ったりして馴染むことになる)。

ホテルに着いてチェックイン。駐車場は登山者向けの駐車場に夕方のうちに移動することを勧められる(夜中に走ってきた登山者により、朝にはもう埋まるらしい。夕方が空きがある時間帯とのこと)。Wi-Fiは部屋まで電波が届かずロビーで使うことに。ここで立山の天気 | てんきとくらす [天気と生活情報]を見て、やはり翌日は悪天らしいことを確認する。夕食は地元のタケノコや白エビ、牛肉、ゼンマイ、ワラビなど、手の込んだ料理を出してもらうが、僕は疲れと天気のことで頭がいっぱいで朦朧としながら食べる。夕食後に3人で会議をし、3つの案を提案する。第一案が、第二案が「八ヶ岳の白駒の池でキャンプをする」というもので、長野の方が天気が良いらしく、白駒の池なら駐車場からも近いので撤収も楽であることからひねり出した案。翌日に八ヶ岳に向かい、テントで2泊するか、1泊は小淵沢の実家にむりやり泊まることも不可能では無い。白駒池周辺の針葉樹林でのテント泊を体験できるが、3000mクラスを体験することはできない。第三案が「翌日(水曜日)はのんびり過ごし、天気が良くなりそうな金曜日の午前中に立山近辺を登山(大日方面か、室堂山方面)するために、その前日(木曜日)に山に入る」というもの。一泊くらいなら雨でも耐えられるだろうこと、やはり室堂(雷鳥沢)でのテントは山らしいこと、剱や立山の山容を見せられることなどがある。問題は宿泊で、富山市内で10000円ほどのホテルに泊まる、車中泊などが考えられる。会議の結果は、第三案。翌日はのんびりし、その後立山を目指すというものになった。宿泊は車中泊で行こうということになった。

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登山は12〜14日

12日は駅は曇りだが山の上は悪い天気。夜の間も強い雨だった。しかし気持ちよく寝た。宿の人に、今日の山は諦めたと伝え、博物館(立山博物館、カルデラ博物館、埋没林・蜃気楼博物館)や称名滝を勧められる。そして朝食後に朝風呂に入る。寝心地が良く、一日のんびりできるという心理が手伝って、もう一泊ここに泊まって鋭気を養うべきという考えになり、延泊を申し込み、夕食は山用のご飯を食べることにし、朝食のみをお願いすることに。「車を運転したくない」と子供たちには言ってたくせに、いざ一日空くとなるとじっとしておれず、テレビでよく見る「おわら風の盆」の八尾が近いと分かり、がぜん行きたくなる。

 

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立山駅→おわら資料館

10時頃に宿を出て、称名滝(駐車場まで車で15分、歩行往復1時間)に行き、ドライブインでます寿司を買い(12時に届くのを待って並を2箱買ったのだが、どうも並の1つは「特製」だったんじゃないかと、食べ比べても、色合いを見ても感じるものだった)、車中で食べて、風の盆資料館へ。自分が見たい部分もあるが、子供たちにも不思議な雰囲気のこの踊りを見てもらいたくて、こんな機会が得られたことが信じられない。出かける前に、開館していることと映像が見られることを電話で確認しておいた。八尾がカイコの孵化幼虫を各地に売ることで栄えた街であること、5月の山車も伝統であること、「おわら」とは語源に諸説あること、そして踊りは明治期に東京の日本舞踊家が振り付け、曲に胡弓を取り入れ、歌詞も様々に生まれ変わるなど、伝統と革新、ある意味、商業主義、興行主義、地域おこしの先駆けのようなものであったことを知る。子供たちも踊りには興味を持ったようだ。鬼滅でも和風の文化に興味を感じているようだし、良い刺激になったかも知れない。その後は埋没林博物館に行くことも考えていたが、魚津まではそこそこ遠いことと、のんびりを重視することとし、和紙の体験館のようなとこを覗くと喫茶店もあるのでそこに寄っていくことに。和紙のお土産は、うちわやオルゴール、風の盆3Dペーパークラフト(?)が魅力的だが買わず、喫茶店だけ楽しむことに。グリーンティーとミルク、白玉団子をいただく。

夕方に宿に戻り、夕食はアルファ米とカレー、親子丼、牛丼のフリーズドライ、さんま煮。夜に天気を確認し、大丈夫そうだと子供に報告する。ケーブルカーのチケット販売が6時からなので、5時半に起きて買いに行ってくると、子供たちに予定を告げて寝る。

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13日に入山し、14日午前の晴天に賭ける

よく寝られたのか分からないが、とにかく5時前に目が覚め、5時20分には駅に並ぶことに。すでに50人ほどがいた。宿から寝間着のステテコで来た僕は、ここでブユに襲われるという予想外の展開に。虫に刺されやすい体質で、カに集中砲火を浴びるのも日常だが、ブユも大量に寄ってくる。40分ほどの間に10カ所は刺されてしまった。翌日、翌々日と腫れがひどくなり、長崎に帰ってからも苦しめられている。単に長ズボンをはくべきだった。(追記:9月10日になってもまだ痒い)

7時半すぎのケーブルカーに乗りたいと窓口で伝えると、7:40のチケットをくれた。定員もきまっているので、30分頃に来て並ばずに乗ることにする。宿に帰って朝食を食べ終えると、なんと雨が降ってくる。予想も悪くなっている。まぁしかしもう予定は変えられなくて、とりあえず室堂に上がり、夕方までにはテント場に着ければいいだろうと腹を決める。車においていく荷物を車に詰め込み、歯ブラシやステテコなど、山にも持って行くものをザックに詰め、登山用のシャツを着て、登山靴を履き、駅に向かう。ケーブルカーの車内は去年の半分か。荷物も客車に持ち込む。座れはしなかったが、空いていて快適だ。驚いたのはバスで、なんだかんだで座席は埋まるだろうと思っていたら、半分ほどが空いている。贅沢・・・。雨ながらも、称名滝や○○杉、快晴の状態をビデオで見ながら、真っ白な窓の外と見比べる。子供たちは10分ほどしたら爆睡。

9時前に室堂ターミナルに着いたが、雨は降り続く。ターミナルのモニターの天気予想もしばらく雨は続くようだ。休憩所のベンチでのんびり回復を待つことにする。10時頃に登山者同士の話を盗み聞きしていると、もうすぐ雨雲は切れると言っている。子供たちはお土産もそう興味ないようで、じゃんけんなどして遊んでいる。11時になりパンを食べ、退屈なのでちょっとテント場を目指してみるかと子供たちを誘う。子供たちの靴はゴアでもなく「Water resistance」と書いてあるただの撥水加工がされた靴。肌まで水がしみてくると気持ち悪いだろうから、靴下の上にビニール袋をかぶせて靴を履くことを勧める。雨は降ったりやんだり、激しくなったりを繰り返すが、装備を固め、雨の中を歩き出す。

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あっという間にミクリが池を過ぎる(当然見晴らしが良いはずも無く、呆然と立ち尽くす二人の後ろ姿があるのみ)。人が少なく(ほとんどおらず)歩きやすい。地獄の硫黄臭は去年よりましだ。雷鳥沢までは下りの方が多いので、雨で濡れた石で滑らないように注意すれば、それほど疲れるものではない。テント場も見えない霧の中を、子供たちに先に行ってもらったりしながら、血の池地獄を通り過ぎ(色も見えない)、黙々と進みテント場に到着する。

雨はほぼやんでいる。子供たちにフライシートを持ち上げてもらい、その下でテントを広げる予定だったが、その必要も無いくらい。僕ともう一人の寝袋がちょっと濡れていて焦るが、テントの上で乾かすことができた。コーヒーと紅茶を飲み、子供たちは昼寝し、ラーメンを食べ、散歩し写真を撮り、晩ご飯。立山の上の方は霧が晴れないが、大日方面やカールの緑はきれいに見えるようになった。

両脇のテントは、歌を流す人といびきをかく人で、今後は張る場所選びも慎重にしなければいけないと思った(今回はテーブルそばを選んで、それはそれで良かったのだが、通路にもなり、夜中にライトの光がテントに当たってまぶしかった)。テントの設営(ペグの打ち込みなど)は下の子の方が積極的にやってくれる。下の子も指を潰さないか心配だったが、上の子たちはもっと心配だ。

夜には星も見た。去年よりもたくさんの星が出ていた。寝袋に戻った後も流れ星に歓声が上がるとまた見に出たくなるが、もう寒くて、子供たちにもおすすめしなかった。むしろここでもうちょっと着込んで、星も見て、暖かくして寝袋に入れば良かったのかも知れない。子供たちがどれくらい寝られたか分からないが、僕は寒さとライトと声や音で何度も目が覚めた。とにかく天気が持ち直し、きっと明日も良い天気だろう。そして散策をして、僕は姫路まで運転しなければならないのだ。

翌朝の状態は、まずかなり眠いということ。しかし良い天気だと言うこと。アラームが鳴った5時に活動開始。朝食はフリーズドライの卵スープ。6時に出発し、子供用のザックに非常食や薬、水などを入れ、コンロも持たずに出る。大日小屋方面に進み、行けるとこまで、1時間半ほど進み、折り返して3時間で戻ることとする。去年下の子と到達した中腹を越え、尾根に出て、さらに西へ進み、剱の霧が晴れてよく見えるところまで行く。ポールは僕が使わせてもらい助かる。子供たちには邪魔に感じられるのかも知れない。コロナで登山者もみんなマスクをしている。挨拶も控えめだが、それでも声を掛け合うので、その文化も子供たちには感じてもらえただろう。折り返し点で晴れた剱を眺め、行動食を食べ、立山雷鳥沢、地獄、アルペンルートなどを眺めながら戻る。僕の後ろ姿を写真に撮ってくれていたりして、余り見られない自分の姿が新鮮だった。

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9時に戻り、10時までに撤収。フル装備(なぜか荷物が減っていない)で晴天の中を室堂まで戻るのは今回一番キツい行程だった。11時には室堂に付き11:40のバスに乗れることに。お土産のお菓子を買って、お昼ご飯としてます寿司の個包装を3個買って、バスに乗り込む。財布を帽子でくるんで落とさないようにと思っていたが、車内で眠ったときにボタっという音がして、てっきり他の人が何か落としたのだろうと思っていたが、バスからケーブルカーに移り、下の駅まで来たときに財布が無いことに気づく。バスが財布を乗せたまま室堂に戻って、それが駅まで着くのは何時だ・・・とか考えてぞっとしたが、睡眠不足を補う休憩時間にすればいいやと思い直し、とりあえず駅員さんに相談する。最初の電話でのバス会社とのやりとりでは「財布は見つかっていない」ということだったが、数分後に携帯に電話が来て、財布は見つかっていて10分後には駅に着くとのことだった。1時10分には手元に戻ってきてくれた。

立山とはお別れし、前日にます寿司2箱を買ったドライブインでソフトクリームを食べる。今日は僕の分も買う。子供たちはイチゴのミックス、僕はマンゴーのミックス。すごくおいしかった。去年は息子と室堂に向かう途中の山小屋でかき氷を食べたが、今年は姫路まで帰るのでバスに乗ることを優先したのだった。その後子供たちは読むのを我慢しておいた残りの本に集中し、僕は運転に集中し、富山、石川、福井、京都(舞鶴)を通り兵庫のSAで夕食。9時から10時と思っていたホテル到着は、9時前に前倒しになり、ホテルに入る前に缶ビールを買い、ようやくここで僕はぐっすり寝ることができた。それでも翌日は、昼過ぎから夕方にかけて度々睡魔が襲ってきて、15分ほどの仮眠を2度も取る。昼食は宮島SAでお好み焼き。6時には家に着いて久しぶりの家ご飯。

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 去年は一人、今年は二人を連れて行ったが、年齢があがっても人数が増えるとやはり健康状態の心配は増える。コロナとは無関係に、風邪を引いたり、お腹を壊したりしないか、心配が二倍になる。

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二人の子供たちは、中一の双子だ。いろいろあるのか最近は元気がないように感じる。子供の頃から、いろいろな経験をさせ、自由を謳歌し、自分の意見を言える子に育てたかったが、そうも行かなかったようだ。どちらかと言うとおとなしく、引っ込み思案で、心配性で、他人の目が気になる。この旅行で、父親が初対面の人とどう会話し、どう主張し、どう交渉するのかを、僕なりの方法で示したかったのだが、コロナで会話がはばかられるという予想外の展開だった(それでもちょこちょこ会話はした)。双子ということで、常にもう一人と一緒に居ることも、性格形成に大きな影響を与えたと思う。一人一人としてどれだけ自立しているのか不明だ。今回の旅行で心の成長を確認したいと思ったが、まだ打てば響くようなものではなかった。今はまだ成長過程にあるのだろう。あとは自力でなりたい自分になってもらうしか無いだろう。

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眠りが浅い中年は、登山中もやはり眠りは浅いまま。気をつけよう。立山駅のブユにも。

薪ストーブ追加&部屋の模様替え

4月に入ると昼暖かいせいか夕方になると寒く感じ(19度くらいあるのに)、焚く誘惑に何度か駆られ、実際1回焚いた。

今年から中学に上がる上の双子女子のために、1部屋を2人で使うのはそのままだが、これまで2段ベッドだったのを1段ずつにして対面する壁際に移し、そのそなりに学習机を置き、二人は背中合わせに机に向かうようにし、さらにその中間点に2つの本棚を背中合わせに置いて緩やかなプライベート空間を作るようにした。制服や学生鞄など荷物が増えたので、制服を掛けるためのハンガーラック(木製の△タイプ)に、私用のリュックを掛けるためのフックを取り付けた。また、鏡も購入。ベッド下の収納ケースも購入。

さらに、いままで母親と寝ていた小2男子(今度小3)も、書斎用の小さな部屋に移るようにし、まず部屋のペンキ塗りを2月末から始め3月上旬に終え、学習机を買い、ベッドを移動し、ランドセル置きとおもちゃ棚はリビングの隣にあったものを移動させ、天井のライトも明るくし(昨日)、枕元のリモコンで明るさや色合いを調節できるようにした(下の子は電球色が好き)。ライトのスイッチが部屋の外にあり、そこを二度押ししてライトを付けることもできる。カーテンは注文中。

各自で部屋の掃除をしてもらうために(みんなアレルギー体質っぽい)、スティックタイプの掃除機も買った。さらに子供たちに枕を購入&調整。うちで使っている枕は高い!

今後の予定・・・2階とくに下の子の部屋とした場所は西日も入り、夏は灼熱になるため、窓にひさしを付ける予定。そして姉たちの部屋にあるクーラーを良いもの(風が直接当たらない、畳数も大きめのもの)に換え、下の子の部屋も十分冷やせるようにする予定。

 

・ハンガーラック+フック(4千円)

・鏡(3千円)

・ベッド下収納ケース×2(2千円)

・ペンキ+ローラースポンジ(1万円)

・学習机(5万円)

・シーリングライト(6千円)

・カーテン6枚(2万円)

・掃除機(2万円)

・枕3人分(1万円)

・(クーラー・庇)

薪ストーブシーズン終了&再来年の薪の準備

先週まではちらほら焚いていたが、今週はもう良さそう。使用は広葉樹が2棚半と、焚き付け用の針葉樹が半棚か。来年用は広葉樹3棚と、針葉樹1/4棚。焚き付けには広葉樹の細枝も使えることが分かったので、なんとかなるかな。針葉樹は1年でも使用できるようになるだろうし。

 

で、心配すべきは再来年の薪で、先週の三連休の二日は薪づくりのチェーンソー仕事と薪の移動をしたんだけど、その後謎の吐き気と頭痛に襲われ、夕食前から翌朝までダウン。シャリバテかも知れないけど、コロナかもと思って焦った。いや、昼にバーベキューをしてビール飲んで昼間から寝たのがいけなかったのか・・・。生活リズムが体調に大きく影響する。

2020年3月の薪

今朝なんて最低気温3度と新聞の予報。日曜も寒いらしい。日差しはつよくなってきたけど、最高気温も15度いかない日がつづく。

 

そんなわけでちょぼちょぼと薪ストーブ使ってる、3つめの棚を使い切ることは無いと思うけど。

 

そんな中、薪をもらう。また剪定しているところに出くわして、車で来ていなかったので諦めていたのだが、夕方に見ると丸太がころがっていて、翌日に車で来てみると雨だから休みのようで、前日に名前をチェックした業者に電話したところ今回は難しいとのことだったが、また機会があったら連絡するとのことで電話番号を教える。するとさらに翌日に電話があり、家の駐車場に持って行けるけど、と言ってくれるので、夕方に家で受け取る。トラックで運んでもらえるととても楽(2m越えの丸太が10本ほど)。渡すべきお礼の目安も自分の中でできてきたので、これからもバンバン声を掛けていくぞー(声を掛けるのはそれなりに緊張する)。