フェイクファー是か非か



 杉本彩が毛皮反対運動のポスターのモデルになったというニュースの中で、彼女はフェイクファーを推進していると書かれており、「結局動物の毛皮を賛美しているんじゃないの?」と思った。つまり、そこに「本物の毛皮が欲しいけど我慢」という本心があるのなら、フェイクファーは決して毛皮反対にはつながらない、と思った。しかしよく考えてみると、フェイクファーは、動物の模様を摸しているのであり、生物の美しさを賞賛するものだとしたら、それはむしろ自然保護につながるのか、と思ったりもした。しかしやっぱり、フェイクファーの元になっているのは「毛皮」という動物の皮を剥いだものであり、衣類に「毛皮、ファー」という表現すると、そこに血なまぐささがつきまとうのは否めない。ほかの表現はないものか。「ヒョウ柄コート」とかでも良いのかも。