小1の夏休み



子供たちが妻の実家に帰っていって、一人で田んぼに行ったり、職場に行ったり。

現代の夏休みの宿題は酷で、8月9日(長崎だから)の出校日までに持って行くパート1と、8月21日の出校日までに持って行くパート2に分かれていて、パート2は9日に行かないともらえない。さっさと済ませて遊び倒す、ということができなくなっている。それでもパート1は一週間ほどで終わらせ、読書感想画やら「あじさいノート」なる、生き物や雲の観察、自己分析などを書く冊子は9日までにあらかた終わらせた。そして7日には子供たちを原爆資料館に連れて行った。学校でも聞くようになるし、語り部の方の話も聞いたそうだし、これまでは怖すぎるから控えていたのだが、人間の暗部を見せるのもやむを得まい。そうでなくても、ウクライナ東部やパレスチナのテレビ映像で、戦争について説明せざるを得ない状況になっている。

どう感じたのかは、詳しくは聞いていない。いろいろモヤモヤしたものを抱えたことと思う。2歳の下の子も「コワイ」と言っていた(たぶん暗いのが怖かった?)。本や記念品はいらないと言った。でもスタンプは喜んで押していた。

その後、ホーは原爆と聞くと耳をふさぐようになり、サアに「鉄やガラスを熱くすると溶けるんだ」と何かのときに説明したら、「原爆のところで見た」と返してきた。それなりに印象に残っているのだろう。

今年の3月に広島の原爆資料館に一人で行ったのだが、それに比べると狭く、ソフトだった気がする。しかし、標的都市が選ばれていく過程、原爆を積んだB29が天候に左右されながら投下する過程などは、原爆を落としたのは人間なのだと、改めて思い知らせてくれる。個人的には、原爆の資料としては、体験者の方が画いた絵に、訴求力の強さを感じるのだが、長崎はそれも少なかった。荼毘に付す場面の絵がある程度だった。

そして出校日も終わり、妻は実家に帰るというので、子供たちにだれかパパと残らないかと聞いたところ、サアは残ると言い、ホーは悩んだ末に残ることに決めたのだが、10日あぐりの丘に3人で出かけ、帰ってきて妻が居ないということでホーは泣く始末。まぁ子供には寂しく感じられることだよなぁとは分かっていても、自分で選んだことだし、泣いても仕方の無いことだし、ということでちょっと叱る。サアが慰めていた。晩ご飯はラーメン。

11日は朝から宿題をして、午後は自由研究用の写真を現像しにジャスコへ。晩ご飯は干物とサラダ。

12日は自由研究を進める。7月末に伊万里湾までカブトガニの産卵を見に行ったので、そのこととカブトガニについて本で調べたことをまとめるのだ。これまでも何回か作業をしてきたのだが、やはり小1では編集力がほとんど無いので、こちらが産婆のように情報を引き出して、それを書かせるという手順になってしまう。午後からは夢サイトに行って、昼食から5時間くらい粘る。本屋でずっと立ち読みしてる子供たちはすごいなと思うとともに、受け身の情報に慣らされているようで心配もする。鉱物フェアをしていて、子供たちも興味あると思っていたのに、子供たちを連れて行ったら、しばらく見た後「もう絵本のとこ行って良い?」「やったー!」とかけていったのにはビックリした。晩ご飯のチャーハンは一緒に野菜切りをしてもらった。

13日には妻が子供たちを連れに佐世保から日帰りする。午前中は自由研究をして、昼前にはダイエーにおやつと昼ご飯を買いに。ホーは「ママと行きたくない」とか言ってる。サアは「パパとも居たいけど、ばあばのとこにも行きたいの」と気を遣ってくれる。

しかし、この二人、些細なことでケンカをしたり、何も無かったかのように仲良くなったり、いそがしい。相手の些細な行動に目くじらを立てる(筆箱をちょっと気になる位置に置いた、とか)パターンが多いように思える。基本的には放っておくのだが、こちらもイラっとするようなしょうもない場合には、素直に怒るようにしている。