反抗期の父親像

子供が小さいときに、やがて来る反抗期をどう父親として振る舞うべきか考えたことがある。そのときは、子供の気持ちをくみ取りながら、感情的では無く、論理的に、正しいことや自分の意見を考える機会になるよう、話ができる父親になることだった。つまり、相手を理解すること、理解しようとしていることを伝えることが、父親として寄り添うことだと思っていた。

 

しかし実際の反抗期は、子供は理解など求めていないのだ。理解されてたまるかという気持ちすらある(自分にはあったと思う)。そんなときの父親の役割は何だろうか。ただ見守ることだろうか。逐一口を出すことだろうか(テレビに対する独り言でも)。